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「義経記」吉野法師判官を追ひかけ奉る事(その10)

武蔵坊むさしばうは人より先にかははたに行きて見ければ、如何にして行くべきとも見えず。されども人をいためんとや思ひけん、また例の事なれば、「これほどの山川やまがは遅参ちさんし給ふか。これ越し給へや」とぞまうしける。判官はうぐわんのたまひけるは、「何としてこれをば越すべきぞ。ただ思ひ切つて腹切れや」とぞのたまひける。弁慶申しけるは、「人をば知るべからず、武蔵は」とて川の端へ寄りけるが、双眼さうがんを塞ぎ祈誓申しける。「源氏の誓ひまします八幡大菩薩は、いつのほどに我が君をば忘れまゐらせ給ふぞ。安穏あんをんまぼ納受なふじゆし給へ」と申す。目を開き、見たりければ、四五段許り下に興ある節所せつしよあり。




武蔵坊(弁慶)は一足先に川端に近付いて見れば、どうしても渡れるようには思えませんでした。けれども人を諌めようとおもったのか、またいつものように、「これほどの山川に立ち止まっているわけにはゆかぬ。ここを越えようぞ」と申しました。判官(源義経)が申すには、「どのようにしてここを越えるというのか。覚悟を決めて腹を切ろう」と申しました。弁慶が申すには、「人がどうするかは勝手です、わたし武蔵は」と申して川端へ寄りました、両目を閉じて祈誓しました。「源氏が祈誓申し上げまする八幡大菩薩は、いつのほどに我が君(義経)をお忘れになられたのですか。安穏であられるますようお守りくださいと申すこの祈誓をどうか納受([神仏が願いなどを聞き入れること])なされよ」と申しました。弁慶が目を開き、見れば、四五段ばかり下に立ち所のある節所([山道などの、通行困難な所])がありました。


続く


by santalab | 2014-02-27 09:09 | 義経記

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