親家も道すがら様々に労りてぞ下りける。とかくして都を出で、十四日に鎌倉に着きたり。この由申し上げければ、静を召して尋ぬべき事ありとて、大名小名をぞ召されける。和田、畠山、宇都宮、千葉、葛西、江戸、河越を始めとして、その数を尽くして参る。鎌倉殿には門前に市をなして夥し。二位殿も静を御覧ぜられんとて、幔幕を引き、女房その数参り集まり給ひけり。藤次ばかりこそ静を具して参りたれ。鎌倉殿これを御覧じて、優なりけり、現在弟の九郎だにも愛せざりせばとぞ思し召しける。禅師も二人の女も連れたりけれども、門前に泣き居たり。鎌倉殿これを聞こし召して、「門に女の声として泣くは、何者ぞ」と御尋ねありければ、藤次「静が母と二人の下女にて候ふ」と申しければ、鎌倉殿、「女は苦しかるまじ、召せ」とて召されけり。
親家(堀親家)も道中様々に静御前の世話をしながら関東に下りました。こうして都を出て、十四日目に鎌倉に着きました。頼朝にこれを申し上げると、静御前を呼んで訊ねることがあると、大名小名を集めました。和田(和田義盛)、畠山(畠山重忠)、宇都宮(宇都宮朝綱)、千葉(千葉常胤)、葛西(葛西清重)、江戸(江戸重長)、河越(河越重頼)を始めとして、その数を尽くして参りました。鎌倉殿は門前に市をなして人だかりとなりました。二位殿(北条政子)も静御前を見ようと、
幔幕([行事の場所などを他と区別するためまわりを囲むのに用いられる布製の用具])を引き、女房はある数参り集まりました。藤次(堀親家)一人静御前を連れて参りました。鎌倉殿(源頼朝)はこれを見て、なんと美しいのだ、弟の九郎(源義経)さえ愛していなければと思いました。磯禅師(静御前の母)も二人の女(催馬楽、其駒)も連れて来ましたが、門前で泣き別れました。鎌倉殿これを聞いて、「門に女の声がして泣いておるが、何者だ」と訊ねると、藤次堀親家)が「静の母と二人の下女でございます」と申したので、鎌倉殿(頼朝)は、「女なら問題なかろう、内へ呼べ」とて申して呼び入れました。
(続く)