鎌倉殿聞こし召して、「あはれこれは誰が申しつるぞ」と御尋ねありければ、「佐原の十郎申して候ふ」と申す。「佐原故実の者なり。もつともさるべし。やがて支度して参らせよ」と仰せられけり。十郎承りて、急ぎの事なりければ、若宮修理の為に積み置かれたる材木を一時に運ばせて、高さ三尺に舞台を張りて、唐綾、絞紗を以つてぞ包みたる。鎌倉殿御感ありける。静を待つに、日はすでに巳の時ばかりになるまで参詣なし。「如何なる静なれば、これほどに人の心を尽くすらん」などぞ申しける。遙かに日長けて、輿を舁きてぞ出で来たる。左衛門の尉、藤次が女房もろともに打ち連れて廻廊にぞ詣でたりける。
鎌倉殿(源頼朝)はこれを聞いて、「誰が申したのだ」と訊ねると、「佐原十郎(佐原義連)です」と申しました。頼朝は「佐原(義連)は故実の者([儀式・法制・作法などに詳しい者])である。なるほどのう。すぐに支度せよ」と命じました。十郎(義連)は承って、急ぎの事でしたので、若宮修理のために積み置かれた材木を急ぎ運ばせて、高さ三尺(約90cm)の舞台をつくり、唐綾、絞紗([模様の付いた絹織物])を張りました。鎌倉殿(頼朝)は感心しました。静御前を待ちましたが、日はすでに巳の時([午前十時頃])になって参詣しませんでした。「いったい静は、いつまで人を待たせれば気が済むのだ」などと申しました。遙かに日が長けてから、輿に乗ってやって来ました。左衛門尉(工藤祐経)、藤次(堀親家)の女房とともに廻廊に詣でました。
(続く)