畠山にこの仔細を「御諚にて候ふ」と申しければ、畠山、「君の御内きりせめたる工藤左衛門鼓打ちて、八箇国の侍の所司梶原が銅拍子合はせて、重忠が笛吹きたらんずるは、俗姓正しき楽党にてぞあらんずらむ」と打ち笑ひ、仰せに従ひ参らすべき由を申し給ひつつ、二人の楽党は所々より思ひ思ひに出で立ち出でられけり。左衛門の尉は、紺葛の袴に、木賊色の水干に、立烏帽子、紫檀の胴に羊の皮にて張りたる鼓の、六つの緒の調を掻き合はせて、左の脇に掻い挟みて、袴の稜高らかに差し挟み、上の松山廻廊の天井に響かせ、手色打ち鳴らして、残りの楽党を待ちかけたり。
畠山(畠山重忠)にこのことを「鎌倉殿(源頼朝)の御諚([命])でございますれば」と申せば、畠山(重忠)、「君(源頼朝)の身内で一番の工藤左衛門が鼓を打ち、八箇国の侍の所司([鎌倉幕府の侍所の次官])であられる梶原(梶原影時)が銅拍子([中央が椀状に突起した青 銅製の円盤二個を両手に持って打ち合わせるもの])を合わせて、わたし(畠山)重忠が笛を吹けば、由緒正しい楽党となりましょう」と微笑んで、命に従い参ると申したので、二人の楽党は所々より思い思いに出で立ち出でました。左衛門尉(工藤祐経)は、紺葛の袴に、木賊色([黒みを帯びた緑色])の水干に、立烏帽子、紫檀の胴に羊皮を張った鼓の、六つ緒の調べを合わせて、左脇に挟み、袴の稜を高く差し挟み、上の松山廻廊の天井に響かせ、手色([調子])よく打ち鳴らして、残りの楽党を待ちました。
(続く)