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「滝口入道」時頼(その2)

時頼ときよりこの時歳二十三、性闊達かつたつにして身の丈六尺に近く、筋骨あくまでたくましく、早く母に別れ、武骨一辺の父の膝元に養はれしかば、朝夕耳にせしものは名ある武士が先陣抜け駆けのほまれある功名話にあらざれば、弓箭きゆうせん甲冑の故実、もとどり垂れし幼時より、つるぎの光、ゆづるの響きのうらに人となりて、浮きたる世の戯言ざれごとは刀のつかの塵ほども知らず、美田の源次が堀川の功名にうつつを抜かして赤樫あかがしの木太刀を振り舞はせし十二三の昔より、空肘撫でて長剣の軽きをかこつ二十三年の春の今日まで、世に恐ろしきものを見ず、出入る息を除きては、六尺の体、いづこを肝と分かつべくも見えず、実に保平の昔のそのままの六波羅武士の模型なりけり。されば小松殿も時頼を末頼もしきものに思ひ、行く末には御子維盛これもり卿の付き人になさばやと常々目をかけられ、左衛門が伺候しこうの折々に「茂頼もちより、そちはよきせがれを持ちて幸せ者ぞ」と仰せらるるを、七十の老父、曲がりし背も反らんばかりにぞ嬉しがりける。




時頼はこの時歳二十三歳、性格は闊達([度量が広く、小事にこだわらないさま])で身の丈は六尺(約1.8m)に近く、筋骨はとてもたくましく、早くして母と死に別れ、武骨一辺倒の父の元で養われたので、朝夕耳にするものといえば名に聞く武士が先陣を抜け駆けした名誉の功名話ばかりでした、弓矢鎧兜の作法を、髪を結い上げない幼い頃より習い、剣の光、弓弦の響きを身に染めて大人になって、浮世の戯言は刀の塵ほども知らず、美田源次が堀川で橋姫の腕を斬った功名(橋姫というと可愛らしげですが、丑の刻参りの鬼なんですね。この橋姫の腕を斬ったのが美田源次だということです)に夢中となり赤樫の木太刀を振り回していた十二三歳の昔の頃から、腕前を十分に発揮できないまま長剣の軽さに愚痴をこぼすようになった生まれて二十三年間の春の今日まで、世に恐ろしいものを見ることもなく、出入る息を除いて、六尺の体の、どこに心があるとも思えず、まことに保平(保元の乱(1156)と平治の乱(1159))の昔そのままの六波羅武士でした。でしたので小松殿(平重盛しげもり)も時頼を末頼もしく思い、行く末は重盛の子維盛卿(重盛の嫡男)の付き人にしようと常々目をかけて、左衛門(茂頼)が伺候([目上の人のご機嫌伺いをすること])の度毎に「茂頼よ、お主はよい倅を持って幸せ者だな」と申すのを、七十歳の老父は、曲がった背中も反るばかりに嬉しく思っていました。


続く


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by santalab | 2014-03-04 21:27 | 滝口入道

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