過ぎ越せし六十余年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思はず、涙は無念の時出づるものぞと思ひし左衛門が耳に、哀れに優しき滝口が述懐の、何として解かるべき。歌詠む人の方便とのみ思ひ居し恋に悩みしと言ふさへあるに、木の端とのみ嘲りし世捨て人が現在我が子の願ひならんとは、左衛門いかでか驚かざるを得べき。夢かとばかり、一度は呆れ、一度は怒り、老ひの両眼に溢るるばかりの涙を浮かべ、「やよ倅、今言ひしは確かに斎藤時頼が真の言葉か、幼少より筋骨人に勝れて逞しく、肝力さへ座りたるそなた、行方の出世の程も頼もしく、我が白髪首の生き甲斐あらん日をば、指折りながら待ち侘び居たるには引き換へて、今と言ふ今、老いの目に思ひも寄らぬ恥辱を見るものかな。奇怪とや言はん、不思議とや言はん。慈悲深き小松殿が、左衛門は善き子を持たれし、と我を見給ふ度毎の御言葉を常々人に誇りし我、今さら乞食坊主の倅を持ちて、いづこに人に合はする二つの顔ありと思うてか。やよ、時頼、よつく聞け、他は言はず、先祖代々よりの斎藤一家が蒙りし平家の御恩はそもいかなりと思へるぞ。殊に弱年のそなたをあれほどに目をかけ給ふ小松殿の御恩に対しても、よしいかに堪へ難き訳あればとて、かかる方外の事、言はれ得る義理か。弓矢の上にこそ武士の誉れはあれ、両刀捨てて、悟り顔なる倅を左衛門は持たざるぞ。上気の沙汰ならば容赦もせん、性根を据ゑて、不所存のほど過つたと言はぬか」。両の拳を握りて、怒りの目は鋭けれども、恩愛の涙は忍ばれず、両頬伝うてはふり落つるを拭ひも遣らず、一息強く、「どうぢや、時頼、返答せぬか」。
生きてきた六十年余りの春秋、武門のほかを人の住むべき世の中とも思わず、涙は無念の時に流すものと思っていた左衛門(斎藤茂頼)の耳に、悲しみに暮れる滝口(時頼)の話す言葉は、とうてい理解できませんでした。悲しみは歌を詠む人の方便と思っていた茂頼にとって恋に悩んでいたという時頼も、上木の端([取るに足りないもの])とばかにしていた世捨て人になることが今の我が子の願いであることを、茂頼がどうして驚かずにいられましょう。夢かとばかりに、一度はあっけにとられ、一度は怒り、老いの両眼に溢れるばかりの涙を浮かべて、「おいせがれよ、今言ったのは確かに斎藤時頼の本当の言葉なのか、幼少より筋骨は人に勝れてたくましく、肝さえすわったお前のことを、これからの出世を頼もしく思い、わしの白髪首([老人の首])の生き甲斐となる日を、指折りながら待ち侘びておったのに、今と言う今になって、老いの目に思いもしなかった恥辱を見せるとは何事ぞ。けしからぬと言うべきか、想像もできないことと言えばよいのか。慈悲深い小松殿(平重盛)が、左衛門はよい子を持たれたものよ、とおっしゃられる度毎にいつも人に自慢しておったわしじゃ、今さら乞食坊主のせがれを持ったなどと、どこに人に会わすもう一つの顔があると思うておるのか。おい、時頼、よく聞け、他のことはどうでもよい、先祖代々より斎藤一家が受けた平家のご恩はいったいどれほどと思うてか。殊に年端もいかぬお前にあれほど目をかけてくださる重盛殿のご恩に対して、たとえいかに堪え難い訳があるとはいえ、道理からはずれた事を、言えた義理ではないはずじゃ。弓矢取ってこそ武士の名誉ぞ、両刀を捨て、悟り顔のせがれをわしは持っておらぬぞ。いいかげんな気持ちで言いだしたことなら許そう、心を落ちつけて、ばかなことを言ったと謝らんか」と言いました。茂頼は両手のこぶしを握って、怒った目は鋭いものの、息子を愛する涙を隠すことはできず、両頬をつたって落ちる涙を拭うこともなく、一声強く、「どうじゃ、時頼、返答せぬか」。
(続く)