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「滝口入道」暇乞(その1)

一門の采邑さいいふ六十余州の半ばを越え、公卿・殿上人三十余人、諸司衛府を合はせて門下郎等の大官栄職を欲しいままにする者その数を知らず、げに平家の世は今を盛りとぞ見えにける。新大納言が陰謀もろくも敗れて、身は西海の果てに死し、丹波の少将成経なりつね、平判官康頼やすより法勝寺ほつしようじの執事であった俊寛しゆんくわんら、徒党の面々、波路遥かに名も恐ろしき鬼界が島に流されしより、世はいよいよ平家の勢ひに麟伏りんぷくし、どうろ目を側だつれども背後に指差す人だになし。一国の殺生与奪の権は、入道が眉目びもくの間に在りて、衛府判官はその爪牙さうがたるに過ぎず。いやしくも身一門の末葉うらばに連なれば、公卿甲冑の君達もあへて肩を並ぶる者なく、前代未聞の栄華は、天下の耳目じもくを驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の振る舞ひ、一朝の怒りにその身を忘れ、小松内府のいさめをも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽の北殿に押し籠め奉り、卿相雲客けいしやううんかくのあるひは累代の官職を剥がれ、あるひは遠島に流人となる者四十余人。ひなも都も怨嗟えんさの声に充ち、天下の望みすでに離れて、存亡のきざしやうやく現れんとすれども、今日の歓びに明日の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰じやうしやひつすいことわりとは言ひながら、権門の末路、中々に言葉にも尽くされね。父入道が非道の振る舞ひは一次再三の苦諌くかんにも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の両全を期し難く、驕る平家の行方を浮かべる雲と頼みなく、思ひ積もりてつらつら世の無常を感じたる小松の内府重盛しげもり卿、先頃思ふ旨ありて、熊野参籠さんろうの事ありしが、帰洛の後は一室に閉ぢ籠りて、濫りに人におもてを合はせ給はず、外には所労と披露ありて出仕もなし。されば平生とくになつき恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬもひそかに憂ひいたまざるはなかりけり。




平家一門の采邑([知行所])は、六十余州の半ばを越え、公卿([大臣・納言・参議、および、三位以上の者])・殿上人([三位以上の者、四・五位の者で特に許された者])は三十人余り、諸司([官人])衛府([衛門府の官司])を合わせて門下の郎等([家来])が大官([位の高い官職])栄職([栄誉ある地位やりっぱな職])を欲しいままにしてその数を知らず、まさに平家の世は今が盛りに見えました。新大納言(藤原成親なりちか)の陰謀(鹿ケ谷の陰謀)は脆くも漏れて、その身は西海の果て(備前国=今の岡山県あたり)で亡くなり、丹波少将成経(藤原成経。成親の子)、平判官康頼(平康頼)、法勝寺(今の京都市左京区にあった寺。六勝寺の一)の執事([長官])の俊寛ら、徒党([仲間])の者たちが、鬼界が島([九州の南西海上の諸島])に流されてからというもの、世の中はますます平家の勢いに麟伏([威光や勢力などにひれ伏すこと])し、どうろ目を側だつ([どうろ目を以つてす]=[人の行き交う場所では、人々は公然と口に出して言うことを憚り、互いに目くばせをして、偽政者への恨みの気持ちを知らせ合う])けれども後ろから指差す人さえいませんでした。一国の殺生与奪の権([生かすも殺すも、与えるも奪うも思いのままであること。絶対権力])は、入道(平清盛)の顔色一つで決まり、衛府判官はその爪牙([手足])に過ぎませんでした。仮にも平家一門の末席にでも連なれば、公卿甲冑の君達でも肩を並べる者はなく、前代未聞の栄華は、天下を驚かせるばかりでした。なれば日毎に増す清盛の非道の振る舞いは、ちょっとした怒りに理性を失い、小松内府(平重盛しげもり。清盛の嫡男)の諌めも聞かず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽の北殿(今の京都市南区・伏見区あたり)に押し籠めて、卿相雲客([公卿・殿上人])はある者は代々の官職を剥奪され、ある者は遠島へ流人となり四十人余りが罪に問われました。田舎も都も怨嗟([恨みつらみ])の声に満ちて、天下の望みもすでに失せました、さすがに平家存亡の兆しがようやく現れようとしていましたが、平家の者たちは今日の歓びに明日の悲しみを思う人はいませんでした。盛者必衰([無常なこの世では、栄華を極めている者も必ず衰えるときがあるということ])の理とは言えども、権門([官位が高く権力・勢力のある家])の末路は、言葉に尽くせるものではありませんでした。父入道(清盛)の非道の振る舞いを一度二度三度と苦諌([言いにくいことをはっきり言って、目上の人を諌めること])しても報われず、君(後白河院)と父の間に立って忠孝の二つを一身に両全([二つとも完全にすること])することも難しく、驕る平家の行方を空に浮かぶ雲と思えば頼りなく、思いが募ってよくよく世の無常を感じていた小松内府重盛卿は、先頃思う旨あって、熊野参籠(祈願のため、和歌山県南東部にある熊野三社に、ある期間籠もること)に出かけましたが、帰洛の後は一室に閉じ籠って、めったに人と顔を合わすこともなく、外には病気だと言って出仕もしませんでした。そういうわけで平素とくに厚恩を受けていた者は言うまでもなく、重盛を知る者知らぬ者も密かに悲しみ心を痛めぬ者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2014-03-05 12:28 | 滝口入道 | Comments(0)

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