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「滝口入道」残月(その2)

掻き乱れたる心、やうやく我に帰りて、つらつら思へば、世を捨つるとは軽々しき戯事ざれごとに非ず。滝口殿は六波羅上下に名を知られたる屈指の武士、希望に満てる春秋長き行く末を、二十幾年の男盛りに断ち切りて、楽しきこの世をほかに、身を仏門に帰し給ふ、世にも憐れの事にこそ、あまたの人に優りて、君の御覚え殊にめでたく、一族の誉れを双の肩にになうて、家にはその子を杖なる年老いたる親御もありと聞く。よそ目にも数あるまじき君父の恩義惜しげもなく振り捨てて、人のそしり、世の笑ひを思ひ給はで、弓矢取る御身に瑜伽ゆが三密のたしなみは、世の無常を如何に深く観じ給ひけるぞ。ああこれ皆この身、この横笛の為せし業、やいばこそ当てね、あたら武士を手に掛けしも同じ事。―思へば思ふほど、乙女心の胸ふたがりて泣くより外にせんすべなし。




横笛の乱れた心は、ようやく落ち付いて、よくよく思えば、世を捨てるとは軽々しいたわむれ事ではありませんでした。滝口殿(滝口時頼ときより)は六波羅の上下の者たちに名を知られた指折りの武士、希望に満ちた春秋長い将来を、二十数年の男盛りで断ち切り、楽しいこの世を遁れて、身を仏門に帰すのは、世にも悲しいことでした、多くの者たちに優り、君(平重盛しげもり)にことさら大切にされ、一族の名誉を両肩に担って、家には時頼を頼りとする年老いた親御(茂頼もちより)もいると聞きました。よそから見てもめったにないほどの君父の恩義を惜しげもなく振り捨てて、人の非難、世の嘲りを気にも留めず、弓矢取る身を捨て瑜伽([ヨーガ]=[心の制御・統一をはかる修行法])三密([密教で、身・・意の三業さんごふ])の苦しみを選ぶとは、世の無常をどれほど深く思ってのことだったのでしょうか。ああこれも皆この身、この横笛のせいでした、刃こそ当てることはなくとも、あれほどの武士を手に掛けたのも同然でした。―横笛は思えば思うほど、乙女心の胸はふさがって泣くよりほかにありませんでした。


続く


by santalab | 2014-03-06 20:02 | 滝口入道

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