Santa Lab's Blog


「滝口入道」残月(その3)

ああ、叶はずば世を捨てんまで我れを想ひくれし人の情けの程こそ中々にありがたけれ。ままならぬ世の義理に心ならずとは言ひながら、かかるまことある人に、ただただ一言の返り事だにせざり我こそ今さらに悔しくもまた罪深けれ。手箱の底に秘め置きし滝口が贈りし文、涙ながらに取り出して、心遣りにも繰り返せば、先にはかくまでとも思はざりしに、今の心に読みもて行く一字毎にはらわたも千切るるばかり。百夜ももよしぢの端書きに、今や我も数書くまじ、ただただつれなき浮世と諦めても、命ある身のさすがに露とも消えやらず、我が想ふ人の忘れ難きを如何にせん。―など書き連ねたるさへあるに、よしや墨染めの衣に我れ哀れを隠すとも、心なき君にはうはの空とも見えん事の口惜しさ、などすずりの水に涙落ちてか、薄墨の文字確かならず。つらつら数ならぬ賎しき我が身に引き比べ、かれを思ひこれを思へば、横笛が胸の苦しさは、たとへんに物もなし。世を捨てんまでに我を想ひ給ひし滝口殿が真の心と並ぶれば、重景しげかげが恋路は物ならず。まして日来より文伝へする冷泉が、ともすれば滝口殿をざまに言ひなせしは、我を誘はん腹黒き人のたくみならんも知れず。かく思ひ来つれば、重景の何となううとましくなるに引き換へて、滝口を憐れむの情けいよいよせちにして、世を捨て給ひしも我れ故と思ふ心の身にひしひしと当たりて、立ちても座りても居堪らず、窓打つ落ち葉の響きも、虫の音も、我をとがむる心地して、繰り広げし文の文字は、さながら我をにらむが如く見ゆるに、目を閉ぢ耳を塞ぎて机のかたはらに伏しまろべば、「あたら武士をそなた故に」と、いづこともなくささやく声、心の耳に聞こえて、胸はやいばに裂かるる思ひ。あはれ横笛、一夜を悩み明かして、朝日影窓にまばゆき頃、ふらふらと縁先えんさきに出づれば、にくや、軒端のきばに歌ふ鳥の声さへ、己が心の迷ひから、「そなた故そなた故」と聞こゆるに、思えず顔を背けて、ああと溜息つけば、驚きて立つ群雀むらすずめ、行方も知らず飛び散りたる後には、秋の朝風音寂しく、残んの月影夢の如くあはし。




ああ、恋叶わずに世を捨てるほどにわたしを想ってくれた人の情けはめったにあるものではありませんでした。思うようにならない世の義理に本心とはうらはらとは言え、これほどまでに想ってくれた人に、ただただ一言の返事もしなかったわたしこそ今さらながら悔しくまた罪深く思う横笛でした。手箱の底にそっと隠して置いた滝口(斎藤時頼ときより)が贈ってくれた文を、涙ながらに取り出して、心を慰めようと読み返せば、前にはこれほどまでには思っていませんでしたが、今の心で読み進む一字毎に耐えがたい悲しみが募りました。榻の端書き([男が女との恋を成就するために、百夜通ったら会おうという女の言葉に従って九十九夜通い、榻にその印を付けたが、一夜を待たずに亡くなってしまったともいわれているそうです])には、文はもうこれっきりにしようと思います、けれどもただ無情の浮世と諦めたところで、命ある我が身はさすがに露と消えることもなく、想う人を忘れられない苦しさをどうすればよいのでしょうか。―などと書き連ねたところで、たとえ墨染めの衣([僧衣])に我が悲しみを隠しても、心ないあなたには関係のないことと思われることが残念です、などと硯の水に涙が落ちたのか、薄墨の文字はぼやけていました。よくよく思えばとるに足りない身分の低い我が身に較べて、あれを思いこれを思えば、横笛の胸の苦しさは、たとえようもないものでした。世を捨てるまでにわたしを想ってくれた滝口殿の真心と並べれば、重景(足助あすけ重景)の恋路は比べようもないものでした。まして日頃より文を伝える冷泉が、ややもすれば滝口殿を悪く言っていたのは、わたしを誘おうとする腹黒い人(重景)のたくらみだったかも。こうして思い起こせば、重景のことが何とはなしに疎ましく思えるのに引き換えて、滝口(時頼)を哀れに思う情けはますます深くなり、世を捨てたのもわたしのせいだと思う気持ちに身はひしひしと痛めつけられて、立っても座ってもいられず、窓打つ落ち葉の音も、虫の音も、横笛を責めるような気がして、繰り広げた文の文字さえ、まるで横笛を睨んでいるかのように思えて、横笛は目を閉じ耳を塞いで机の側にくずれ伏すと、「あれほどの武士をあなたのために」と、どこからともなく囁く声が、心の耳に聞こえて、胸はまるで刃で裂かれるような気がしました。哀れな横笛は、一夜を悩み明かしました、朝日の光が窓にまばゆくかがやく頃、ふらふらと縁先([縁側の庭寄りの端])に出ましたが、憎らしいことに、軒端に鳴く鳥の声さえ、横笛の心の迷いから、「あなたのせいあなたのせい」と聞こえて、思わず顔を背けて、ああと溜息をつけば、驚いて飛び立つ雀たちが、行方も知れず飛び立った後には、秋風の音が寂しく、残月の光が夢のように淡く残るだけでした。


続く


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by santalab | 2014-03-06 20:11 | 滝口入道

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