かくて横笛は教へられしままに辿り行けば、月の光に影暗き、杜の繁みを通して、かすかに灯の光見ゆるは、げに古りし庵室と思しく、隣家とてもあらざれば、げきとして死せるが如き夜陰の静けさに、振鈴の響きさやかに聞こゆるは、もしや尋ぬるその人かと思へば、思ひ設けし事ながら、胸轟きて急ぎし足も思はず緩みぬ。思へば現とも思えでここまでは来たりしものの、何と言うて世を隔てたる門を叩かん、我が真の心をばいかなる言葉もて打ち明けん。うら若き女子の身にて夜を冒して来つるをば、蓮葉のものとさげすみ給はん事もあらばいかにすべき。 はたまた、千束の文に一言も返さざりし我が無情を恨み給はん時、 いかに応へすべき、など思ひ惑ひ、恥しさも催されて、御所を抜け出でし時の心の雄々しさ、今さら怪しまるるばかりなり。かくて果つべきに非ざれば、やうやく我と我が身に思ひ決め、ふと頭を上ぐれば、振鈴の響き耳に迫りて、身はいつしか庵室の前に立ちぬ。月の光にすかし見れば、半ば崩れし門の廂に蝕みたる一面の古額、文字は危うげに往生院と読まれたり。
こうして横笛が教えられたままに辿り行くと、月の光に影暗い、森の繁みから漏れて、かすかに灯の光が見えました、確かに古い庵室でした、隣家もなく、ひっそりとしてまるで死んだような夜陰の静けさの中に、振鈴([金剛鈴])の音がはっきりと聞こえました、横笛はもしや訪ねる人の鳴らす音かと思って、かねて思っていたことではありましたが、胸は高鳴り急ぐ足も思わず緩むのでした。思えば現とも思えずにここまで来たものの、何と言って世を遁れた人の門を叩けばよいものか、本心をどんな言葉で打ち明ければよいものかと思い悩みました。うら若い女の身でありながら夜に紛れ出てここまでやって来ましたが、蓮葉([女性の態度や言葉が下品で軽はずみなこと])のものだと軽蔑されたらどうすればよいのかとも悩みました。はたまた、度重なる文に一言も返事をしなかったわたしの無情を恨んでいたならば、何と答えればよいものか、などと思い悩んで、恥ずかしさも加わって、御所を抜け出た時の勇ましさは、今となっては怪しく思われるばかりでした。このまま別れてしまうこともできなくて、横笛はやっとのことで心を決めて、ふと頭を上げると、振鈴の音がすぐ近く迫り、身はいつしか暗室の前に立っていました。月の光を通して見れば、崩れかけた門のひさしに朽ちかけた一枚の古額には、文字ははっきり読めませんでしたが往生院と書かれているようでした。
(続く)