士は己れを知れる者のために死せんことを願ふとかや。今こそ法体なれ、ありし昔の滝口がこの君の御ためならばと誓ひしは天が下に小松殿ただ一人。父祖十代の御恩を集めてこの君一人に返し参らせばやと、風の朝、雪の夕べ、蛭巻きの柄の間も忘るる隙もなかりしが、思ひもかけぬ世の波風に、身は嵯峨の奥に吹き寄せられて、二十年来の心ざしもみな空事となりにける。世に望みなき身ながらも、我から好めるかかる身の上の君の思し召しの如何あらんと、折々思ひ出だされてはさすがに心苦しく、ただただ長き行く末におぼつかなき機会を頼みしのみ。小松殿逝去と聞きては、それも叶はず、御名残り今さらに惜しまれて、その日は一日坊に閉じ籠りて、内府が平生など思ひ出で、回向三昧に余念なく、夜に入りては読経の声いとしめやかなりし。
武士は己を知る者のために死ぬことを願うものとか。滝口は今でこそ法体([僧侶の身])でしたが、武士であった昔この君のためならばと誓ったのは天下に小松殿(平重盛)ただ一人だけでした。父祖十代の恩を集めて重盛一人に恩返ししようと、風の朝、冬の夕べ、蛭巻き([太刀の柄に金属の細長い薄板を間を開けた螺旋状に巻いてあるもの])の短いで間さえも忘れることはありませんでしたが、思いもかけなかった世の波風に、今は嵯峨(今の京都市右京区)の奥に隠れて、二十年来の心ざしも皆空事となってしまいました。浮世に望みもない身でありながら、自らすすんで仏門に入った我が身を重盛殿はどう思っておられるのかと、折につけ思い出されてさすがに心苦しく、ただただ末永い将来にわずかな機会に期待をかけるのみでした。小松殿(重盛)が亡くなったと聞いては、これも叶わず、名残りを今さらながら惜しまれて、その日は一日僧坊に閉じ籠って、内府(内大臣)の普段の様子などを思い出して、一心に余念なく回向([ 死者の成仏を願って仏事供養をすること])し、夜になってからは読経の声はいっそう悲しみを含みました。
(続く)