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「滝口入道」興亡(その4)

徳を以つて、はた人を以つて、柱とも石とも頼まれし小松殿、世を去り給ひしより、誰言ひ合はさねども、心ある者の心にかかるは、同じく平家の行く末なり。四方よもの波風静かにして、世は盛りとこそは見ゆれども、入道相国が多年の非道によりて、天下の望みすでに離れ、敗亡の機はや熟してぞ見えし。今にも蛭が小島の頼朝にても、筑波おろしに旗揚げんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、いやしくも心ざしを当代に得ず、恨みを平家に含める者、響きの如く応じて関八州は日ならず平家のものに非ざらん。万一かかる事あらんには、大納言殿は兄の内府にも似ず、暗弱あんじやくの生まれつきなれば、もとより物の用に立つべくもあらず。御子三位の中将殿は歌道より他に何長じたる事なき御身なれば、紫宸殿ししいでんの階下に源家げんけの嫡流と相挑みし父の卿の勇胆ゆうたんありとしも思えず。とうの中将殿も管弦の調べこそ巧みなれ、千軍万馬の間に立ちて采配とらん器に非ず。ただただ数多き公卿殿上人の中にて、知盛とももり教経のりつねの二人こそあっぱれ未来事ある時の大将軍と思ゆれども、これとても螺鈿らでんの細太刀に風雅を誇る六波羅上下の武士を如何にするを得べき。中には越中次郎兵衛盛次もりつぐ上総かづさ五郎兵衛忠光ただみつ悪七あくしち兵衛景清かげきよなんど、名だたるがうの者なきにあらねど、言はばこれ匹夫ひつぷの勇にして、大勢に於いて元より益する所なし。思へば風前のともしびに似たる平家の運命かな。一門上下花にひ、月に興じ、明日にも醒めなんず栄華の夢に、万世よろづよかけて行く末祝ふ、武運のほどぞ浅ましや。




徳を以って、はたまた人格を以って、柱となれ石となれと頼りにされた小松殿(平重盛しげもり)が、この世を去ってからというもの、誰が言うこともありませんでしたが、心ある者にとって気にかかることといえば、同じく平家の将来でした。四方の波風は静かで、世は平家の盛りと見えましたが、入道相国(平清盛)が多年に渡り非道を行ったので、平家に対する天下の望みはすでに廃れて、敗亡の機がはやくも熟したように思われました。今にも蛭が小島(今の静岡県伊豆の国市。源頼朝の配流地)の頼朝が、筑波おろしに旗揚げして、源氏譜代の武士は言うまでもなく、賎しくも平家に味方せず、恨みを平家に向ける者、時勢を感じて関東八州は日を待たず平家に背きました。万が一戦が起これば、大納言殿(清盛の三男、平宗盛むねもり)は兄である内府(内大臣重盛)にも似ず、暗弱([ものの道理がわからず、気力にとぼしいこと])な性格でしたので、もとより役に立つとも思えませんでした。重盛の子三位中将殿(平維盛これもり)は歌道のほかに何一つ優れたところがなく、紫宸殿の階下で源家の嫡流(源義朝よしともの嫡男で、頼朝の兄であった義平よしひら)と争った(平治の乱のこと)父の卿のように勇胆([勇ましく度胸のあること])とも思えませんでした。頭中将殿(平重衡しげひら。清盛の五男)は管弦の上手でしたが、千軍万馬の間に立って采配を取る器ではありませんでした。ただただ数多い公卿殿上人の中にあって、知盛(平知盛。清盛の四男)、教経(平教経。清盛の弟知盛とももりの二男)の二人だけが将来戦があれば大将軍になるべき者に思えましたが、彼らにしても螺鈿([インレイの装飾])の細太刀を身に着け風雅を誇る六波羅の上下の武士をどうにかできるとも思えませんでした。武士の中には越中次郎兵衛盛次、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清など、名だたる剛の者もいないわけではありませんでしたが、言わば匹夫の勇([血の気が多いばかりの勇者])で、大勢の中で大して役に立つとも思えませんでした。思えば風前の灯のような平家の運命でした。平家一門の者たちは身分の上下関わらず花に酔い、明日にも醒めようとしている栄華の夢に、永遠の未来を祈るばかりでした、なんとも嘆かわしい平家の武運でした。


続く


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by santalab | 2014-03-07 12:35 | 滝口入道 | Comments(0)

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