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「滝口入道」高野(その3)

滝口はかうべを床に付けしまま、しばし涙にむせび居たりしが、「都は君が三代の故郷なるに、様を変へでは御名も唱へられぬ世の変遷こそ是非なけれ。思へば故内府の恩顧の侍、その数を知らざる内に、世を捨てし滝口のこの期に及びて君の御役に立たん事、生前しやうぜんの面目この上や候ふべき。故内府のこうおんに比べては高野の山も高からず、熊野の海も深からず、いづれ世に用なきこの身なれば、よしや一命を召され候ふとも苦しからず。ああかかる身は枯れても野末のずゑの朽木、素より物の数ならず。ただただ金枝玉葉きんしぎよくえふの御身として、定めなき世の波風に漂ひ給ふこと、御痛はしう存じ候ふ」。言ひつつ涙をはらはらと流せば、維盛これもり卿も、重景しげかげも、昔の身の上思ひ出でて、泣くよりほかに言葉もなし。




滝口(斎藤時頼ときより)は頭を床に付けたままで、しばらく涙に咽んでいましたが、「都は君(平維盛これもり)の三代(平清盛、重盛しげもり、維盛)の故郷でありますのに、様を変えなくては妻子の名を呼ぶことさえできないこの世の移り変わりはいたしかたございません。思い出せば故内府(重盛)にかわいがられた侍でありましたわたしです、そのご恩返しもできないうちに、世を捨てたわたしがこの期に及んで重盛殿のお役に立つのであれば、生前に叶えられなかった面目も立つことと思います。重盛殿の鴻恩([大恩])を思えば高野の山も高くありません、熊野の海(熊野灘。今の三重県南部)も深いとは思えません、いずれにせよこの世に役に立たないこの身ですから、この命を差し出しても惜しくはございません。どうせこの身を失っても野末([野のはずれ])の朽木となるばかりです、もとより何の価値もありません。ただただ金枝玉葉([天皇の一門]。安徳天皇は、清盛の娘徳子とくこの子)の身として、無常の世の仲の波風に漂う維盛殿を、気の毒と思うばかりです」と言いました。滝口は言いながらも涙をはらはらと流したので、維盛卿(平維盛。重盛の嫡男)も、重景(足助あすけ重景)も、昔のそれぞれの身の上を思い出して、泣くばかりで言葉も出ませんでした。


続く


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by santalab | 2014-03-07 20:46 | 滝口入道

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