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「滝口入道」男泣(その4)

滝口は黙然として居たりしが、しばらくありてきつとおもてを上げ、襟を正して維盛これもりが前にうやうやしく両手をつき、「さほど先君の事御心に掛けさせ給ふ程ならば、何とてかかる落人にはならせ給ひしぞ」。意外の一言に維盛卿は膝押し進めて、「何と言ふ」。「御驚きはさることながら、御身のため、また御一門のため、御恨みの程を身一つに忍びて滝口が申し上ぐる事、一通り御聞きあれ。そも君は正しく平家の嫡流にておはさずや。今や御一門の方々屋島の浦に在りて、生死を一つにし、存亡を共にして、回復の事叶はぬまでも、押し寄する源氏に最後の一矢を報いんと日夜肝胆かんたんを砕かるること申すも中々の殊に候へ。そも寿永じゆえいの初め、指す敵の旗影も見で都を落ちさせ給ひしさへ平家末代の恥辱なるに、せめてこの上は、一門の将士、御座船ござぶね枕にしてしかばねを西海の波に浮かべてこそ、あっぱれ名門の最後、いさぎよしとこそ申すべけれ。さるを君には宗族故旧そうぞくこきう波濤はたうの上に振り棄てて、妻子の情に迷はせられ、かく見苦しき落人にならせ給ひしぞ心外千万なる。明日にも屋島没落の暁に、御一門残らず雄々しき最後を遂げ給ひけん時、君一人は如何にならせ給ふ御心に候ふや。もしまた関東の手に捕はれ給ふ事のあらんには、君こそは妻子の愛に一門の義を捨てて、死すべき命を卑怯にも逃れ給ひしと世の口々にあざけられて、京鎌倉に立つ浮名をば君には風やいづこと聞き給はんずる御心に候ふや。申すもおそれある事ながら、御父重盛しげもり卿は智仁勇の三徳をそなへられし古今の明器。敵も味方も共に敬慕する所なるに、君にはその正嫡と生まれ給ひて、先君の誉れを傷つけん事、口惜しくは思さずや。本三位の卿の虜となりて京鎌倉に恥をさらせしこと、君には口惜しう見え給ふほどならば、何とて無官の大夫が健気けなげなる討ち死にを誉れとは思ひ給はぬ。あはれ君、先君の御事、一門の恥辱となる由を思ひ給はば、願はくは一刻も早く屋島に帰り給へ、滝口、君を宿し参さする庵も候はず。ああかくつれなくもてなし参らするも、故内府が御恩の万分の一に答へん滝口が微衷びちゆうせんずる所、君の御ためを思へばなり。御恨みのほどもさこそと思ひ遣らるれども、今は言ひ解かんすべもなし。何事も申さず、ただただ屋島に帰らせ給ひ、御一門と生死を共にし給へ」。




滝口(斎藤時頼ときより)は黙って聞いていましたが、しばらくして険しい表情で顔を上げ、襟を正して維盛(平維盛)の前で礼儀正しく両手をついて、「それほどまでに先君(維盛の父、平重盛しげもり)のことをご心配なさるのであれば、どうして今このような落人になられたのですか」と言いました。意外な一言に維盛京は体を乗り出して、「何を申すか」と言いました。滝口は「驚かれるのはもっともですが、あなたのため、また平家一門のため、恨みは我が身一つに置いて滝口が申し上げることを、一通りお聞きくださいませ。そもそもあなたは正しく平家の嫡流ではございませんか。今や平家一門の方々は屋島の浦(今の香川県高松市)にあって、生死を一つにし、存亡を共にして、名誉回復までは叶わないとしても、押し寄せる源氏に最後の一矢を報いようと日夜全力を尽くしておられますのはりっぱなことでございます。そもそも寿永の初めに、敵の旗印も見ないで都を逃れたことも平家末代までの恥でありますが、せめてこうなった上は、平家一門の将士([将軍と兵卒])と共に、御座船([将軍が乗る船])を枕に屍を西海の波に浮かべてこそ、りっぱな平家一門の最後、潔いことだと申し上げておるのでございます。それなのに君(維盛)が宗族([一門])故旧([古くからの家来])を波濤([大波])の上に振り棄てて、妻子の情に心惑わされ、こうして見苦しい落人になられるとはまったく思いも寄らなかったことでございます、明日にも屋島が没落し、平家一門の方々は一人残らずりっぱな最後を遂げるやもしれません、あなた一人だけ生き残ってどうするおつもりなのでございましょう。もしまた関東の手にかかって捕えられれば、あなたが妻子の愛に平家一門の義理を捨てて、死ぬべき命を非常にも逃れたのだと世の者たちに口々に嘲られて、京鎌倉に浮名を立てることになられてもあなたはどこ吹く風と聞き流すおつもりですか。申すも恐れ多いことですが、あなたの父重盛卿は智仁勇([儒教でもっとも基本的な三つの徳])が具わった古今における優者でございました。敵も味方も共に敬慕する人でございましたが、あなたはその正嫡と生まれて、先君(重盛)の名誉を傷つけることを、悔しく思わないのですか。本三位の卿(清盛の五男、平重衡しげひら)が捕虜となって京鎌倉に恥を晒されたことを、あなたが悔しく思うのならば、どうして無官の大夫が健気に討ち死にするのを名誉とは思わないのですか。維盛殿よ、先君のことを思い、平家一門の恥となるとお考えになるのなら、願わくは一刻も早く屋島にお帰りなさいませ、わたしには、あなたをお泊めする庵はございません。ああこうして情のないもてなしをするのも、故内府(内大臣重盛)のご恩の万分の一でもこたえる微衷([まごころ])からでございます、申し替えれば、あなたのためを思ってのことではございません。さぞやお恨みのこととは存じ上げますが、今は弁解するつもりもございません。何も申さず、ただただ屋島にお帰りなさいませ。平家一門と生死を共にするべきでございます」と言いました。


続く


by santalab | 2014-03-07 22:34 | 滝口入道

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