同じき十四日卯の一点に、「足利武蔵の前司義氏・駿河の次郎泰村」と名乗つて、また橋詰に寄せて引き退く。関の右衛門入道・若狭の兵衛の四郎・指間の四郎・布施の中務・相馬の五郎・梶の権次郎・塩屋の民部・同じく左衛門・新関の兵衛・中江の四郎、押し寄せて射伏せらる。
同じ六月十四日卯の一点([午前六時頃])に、「足利武蔵前司義氏(足利義氏)・駿河次郎泰村(三浦泰村)」と名乗って、また宇治橋橋詰([橋の際])まで寄せて引き退きました。関右衛門入道・若狭兵衛四郎・指間四郎・布施中務・相馬五郎・梶権次郎・塩屋民部・同じく左衛門・新関兵衛・中江四郎は、押し寄せて射倒されました。
(続く)