次の御門、桓武天皇と申しき。光仁天皇の第一の御子。御母、贈正一位乙継の娘、皇太夫人高野新笠なり。宝亀四年正月十四日、東宮に立ち給ふ。御年三十七。そのほどの事、百川が力を入れ奉りし様、光仁天皇の御事の中に申し侍りぬ。天応元年辛酉四月二十五日、位に即き給ふ。御年四十五。世を知り給ふ事、二十四年なり。
次の帝は、桓武天皇(第五十代天皇)と申されました。光仁天皇(第四十九代天皇)の第一皇子でした。母は、贈正一位乙継(高野乙継)の娘、皇太夫人高野新笠でした。宝亀四年(773)の正月十四日に、東宮に立たれました。御年三十七でした。そのことにつきましては、百川(藤原百川)の尽力があったこと、光仁天皇のところですでに申しました。天応元年(781)辛酉の四月二十五日に、帝位に即かれました。御年四十五でした。世を治められること、二十四年でした。
(続く)