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「水鏡」桓武天皇(その3)

長岡ながをかの京には中納言種継たねつぐ留守にてさうらひしを、御門の御弟の早良さはら親王しんわう、東宮とておはせしが、人を遣はして射殺さしめ給ひてき。事の起こりは、御門、常にここかしこに行幸し給ひて、世の政を東宮にのみ預け奉りしかば、天応てんおう二年に佐伯今毛人いまえみしと云ひし人を宰相さいしやうになさせ給ひたりしを、御門かへらせ給ひたりしに、この種継、「佐伯の氏のかかる事はいまだ侍らず」と御門にまうししかば、宰相を取り給ひて三位さんみを経させさせ給ひてしを、東宮よに口惜しき事に思して、「種継を賜はらん」と申し給ひしを、御門むづかり給ひて、さらに聞き給はずして、この後、東宮に政を預け奉り給ふ事なくなりにしを、安からず思して、その隙を年来窺ひ給ひつるに、よき折節をりふしにて、かくし給ひつるなり。御門、奈良より還り給ひにき。丙戌ひのえいぬの日、行幸はありて、今日は壬辰みづのえたつの日なれば、七日と云ひしに還り給へりとぞ思え侍る。この頃は忌むなど申すとかや。かくて十月じふぐわつに東宮を乙訓寺に籠め奉り給へりしに、十八日までその命、絶え給はざりしかば、淡路の国へ流し奉り給ひしに、山崎にて亡せさせ給ひにき。




長岡京(現京都府長岡京市)では中納言種継(藤原種継)が留守を務めていました、桓武くわんむ天皇(第五十代天皇)弟であられた早良親王は、東宮でしたが、人を遣わして種継を射殺させましたた。事の起こりは、桓武天皇が、常にあちらこちらに行幸されて、世の政を東宮に預けられたので、天応二年(782)に佐伯今毛人という者人を宰相([参議])にされたのを、桓武天皇が戻られた時、種継が、「佐伯氏が参議に上ることは今までなかったことでございます」と桓武天皇に申し上げたので、桓武天皇は宰相を剥奪されて三位とされましたが、東宮はこれをとても残念に思われて、「種継をわたしにお与えください」と申しましたが、桓武天皇はこれを了承せず、東宮の申すことをお聞きになられませんでした、この後、東宮に政を預けられることもなくなられたので、東宮は種継を恨んで、その隙を年来窺っていましたが、よき折節と、種継を射殺させたのでした。桓武天皇は、奈良より還御されました。丙戌の日に、行幸されて、この日は壬辰の日でしたので、七日目に還られたことになりますか。その頃は忌み籠られておられたようです。その後十月に東宮を乙訓寺(現京都府長岡京市にある寺)に幽閉されましたが、十八日までその命が、絶えることはありませんでした、桓武天皇は東宮を淡路国へ配流されましたが、山崎(現京都府乙訓郡大山崎町だが、早良親王が亡くなったのは現大阪府守口市の高瀬神社付近。憤死したらしい)で亡くなられました。


続く


by santalab | 2014-03-25 09:18 | 水鏡

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