昔だにさほどの齢はありがたきに、いかなる人にかおはすらん。まことならば、ありがたき人見奉りつと云へば、うち笑ひて、「九十九髪はまだ下ろし侍らねど、仏の五つの忌む事を、受けて侍れば、いかが浮きたる事は申さん。祖父に侍りし者も、二百千に及ぶまで侍りき。親に侍りしも、そればかりこそ侍らざりしかども、百年に余りて身罷りにき。嫗も、その齢を伝へ侍るにや。いまいまと待ち侍りしかど、今は面馴れて、常にかくてあらんずるやうに、念仏なども怠りのみなるも、あはれになん」と云へば、さていかにおはしける続きにか。浅ましくも、長くもおはしける齢どもかな。
昔でさえこれほどの齢の人はいないように思えました、いったいどのような人なのかしらと思いました。老女の申されることが本当ならば、とてもありがたい人にお会いしましたと申せば、微笑んで、「九十九髪([老女の白髪])はまだ下ろしておらんが、仏の五戒([仏教で、在家の信者が守るべき五つの戒め。不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五つ])を、受けておるので、嘘は申さぬよ。祖父も、二百歳に届くほど長生きしたんじゃぞ。親も、祖父には及ばなかったが、百歳を過ぎてから亡くなったんじゃ。わらわも、その寿命を引き継いだのかの。いまかいまかと待っておったが、いまは長生きに慣れてしもうて、死ぬことはないとも思うて、念仏などもつい忘れてしまうが、悲しいことじゃ」と申せば、なんと長生きの家系なんでしょうと思いました。不思議なことに、そう申されると本当のことに思えました。
(続く)