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「大鏡」文徳天皇(その2)

御母きさいの御年十九にてぞ、この帝を産み奉り給ふ。嘉祥かしやう三年四月に后に立たせ給ふ。御年四十二。斎衡さいかう元年甲戌きのえいぬの年、皇后宮に上がり給ふ。貞観ぢやうぐわん三年辛巳かのとみ二月二十九日癸酉みづのとと、御出家すけして、潅頂くわんぢやうなどせさせ給へり。同じき六年丙申ひのえさる正月七日、皇太后に上がり居給ふ。これを五条ごでうきさいと申す。伊勢物語に、業平なりひら中将ちゆうじやうの、「よひよひごとにうちも寝ななむ」と詠み給ひけるは、この宮の御事なり。「春や昔の」なども。同じことのやうにさぶらふめる。いかなることにか、二条にでうきさいに通ひ増されける間の事どもとぞ、うけたまはりしを。「春や昔の」なども。五条の后の御家と侍るは、別かぬ御仲にて、その宮に養はれ給へれば、同じ所におはしけるにや。




母后(第五十四代仁明にんみやう天皇皇后、藤原順子のぶこ)は御年十九で、文徳もんとく天皇(第五十五代天皇)をお産みになられた。嘉祥三年(850)の四月に后に立たれたのじゃ。御年四十二じゃった。斎衡元年(仁寿四年(854))甲戌の年には、皇后宮に上がられた。貞観三年(861)辛巳の二月二十九日癸酉に、出家なされて、潅頂([主に密教で行う、頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、 正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式])をお受けになられたのじゃ。同じ貞観六年(864)丙申の正月七日には、皇太后に上がられたのじゃ。五条后と申されたお方じゃ。伊勢物語に、業平中将(在原業平)が、「よひよひごとにうちも寝ななむ」(「人知れぬ わが通ひ路の 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ」=「人知れずわたしはあなたの許に通うのです。関守よ、どうかわたしが通うその夜は寝ていてほしい。」)と詠んだのは、この宮のことじゃよ。「春や昔の」(「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」=「月もあの時見た月でなく、春も昔の春と同じではない。あなた(二条后=第五十六代清和天皇女御、藤原高子たかいこ)がいなくなった今でも、わたしだけがあの時と同じわたしであるのに。」)などもあるの。同じ頃のことに思われるが。どういうことじゃろう、二条后の許に通われている時のことと、聞いておるんじゃが。「春や昔の」も五条后のことを詠んだ歌じゃったんじゃろうか。五条后とは、深い仲じゃったんじゃろうが、二条后も同じ宮内で養われて、同じ所に住んでおられたのじゃろうかの(五条后は二条后の叔母)。


続く


by santalab | 2014-03-28 19:37 | 大鏡

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