父母、「眼だに二つあり」と思ふほどに、俊蔭十六歳になる年、唐土船出だし立てらる。こたみは、殊に才賢き人を選びて、大使、副使と召すに、俊蔭召されぬ。父母悲しむこと、さらに譬ふべき方なし。一生に一人ある子なり。容、身の才、人に優れたり。朝に見て夕べの遅なはるほどに、紅の涙を落とすに、遥かなるほどに、相見むことの難き道に出で立つ。父母、俊蔭が悲しび思ひ遣るべし。三人の人、額を集へて、涙を落して、出で立ちて、遂に船に乗りぬ。
父母も、「眼でさえ二つあるのに(俊蔭と肩を並べる者はいない)」と思っていましたが、俊蔭が十六歳になった年に、遣唐使船を出すことになりました。この度の派遣では、特に能力に秀でた者を選んで、遣唐大使(遣唐使の責任者)、副使に任命したので、俊蔭が選ばれたのです。父母は別れをとても悲しんで、まったくたとえようもありませんでした。父母にとって一生にたった一人の子どもだったからです。俊蔭は容姿も、才能も、人より優れていました。明日が出発の日の夕べ遅くなるにつれ、悲しみのあまり血の涙を流していましたが、遥か彼方、互いに会うこともできない旅路へと出かけて行く日がやって来ました。父母と、俊蔭は悲しみに思いをはせていました。父母と俊蔭の三人は、顔を寄せ合って、ともに涙を流していましたが、とうとう俊蔭は旅立ち、最後には船に乗りました。
(続く)