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「宇津保物語」俊蔭(その8)

さるを、俊蔭としかげあたの風、大きなる波に会ひて、ともがらを滅ぼして、一人、知らぬ世界に漂ひて、年久しくなりぬ。しかあれば、不幸の人なり。この罪を免れむために、倒さるる木の片端を賜はりて、年来労せる父母に琴の声を聞かせて、そのめいとなさむ」と言ふ時に、阿修羅あすら、いやますますにいかりて言はく、「汝が累代るいだいの命を留めむとても、この木一寸を得べからず。そのゆゑは、世の父母、仏になり給ひし日、天稚御子あめわかみこ下りまして三年掘れる谷に、天女、音声楽おんじゃうがくをして植ゑし木なり。さて、すなはち、天女のたまはく、『この木は阿修羅の万劫ばんごうの罪半ば過ぎむ世に、山より西にさしたる枝枯れむものぞ。その時に倒して、三分に分ちて、かみの品は、三宝より始め奉りて、たう利天りてんまでに及ぼさむ。中の品はさきの親に報い、しもの品をば行く末の子どもに報いむ』とのたまひし木なり。阿修羅を山守りとなされて、春は花園、秋は紅葉の林に、天女、下りましまして、遊び給ふ所なり。たはやすくたれる罪だにあり。いはむや、そこばくの年月、撫で生ほし作る、『万劫の罪滅さむ。悪しき身まのかれむ』とて守り木作れるを、おのが一分とくぶんなし、何によりてか、汝一分あたらむ」と言ひて、ただ今喰まむとする時に、大空掻い暗がりて、車の輪のごとなる雨降り、いかづち鳴りひらめきて、龍に乗れる童、黄金こがねの札を阿修羅に取らせて上りぬ。札を見れば、書けること、「三分の木の下の品は、日本の衆生しゆじやう俊蔭に賜はす」と書けり。阿修羅、大きに驚きて、俊蔭を七たび伏し拝む。「あなたふと。天女の行く末の子にこそおはしけれ」と尊びて、言はく、「この木の上下、下の品をば、大福徳の木なり、一寸をもちてむなしき土を叩くに、一万恒沙ごうじやの宝を出づべき木なり。下の品は、声をもちてなむ、長き宝となるべき」と言ひて、阿修羅、木を取り出でて、割り木作る響きに、天稚御子下りましまして、琴三十作りて上り給ひぬ。かくて、すなはち、音声楽して、天女下りまして漆塗り、織女たなばたり、すげさせて、上りぬ。




ところが、この俊蔭は、害をなす風や、大波に遭遇し、仲間を失い、ただ一人、見知らぬ土地にたどり着いて、長い月日が経ちました。そうです、わたしも不幸の人です。この罪から逃れるために、あなたが倒した木の片端をいただいて琴を作り、長年苦労をかけた父母に琴の音を聞かせて、我が運命としたいのです」と言うと、阿修羅はそれを聞くどころかますます怒って言うには、「お前が何代もの間長生きしたところで、この木一寸(一寸は約3cm)も手に入れることはできないぞ。その訳は、この世を造ったわしらの父母が、亡くなって仏になった日に、天稚御子(いきなり日本の神ですが、天照大神あまてらすおほみかみの孫だそうです)が地上に降りてきて三年かけて掘った谷に、天女が雅楽を演奏して植えた木だぞ。それはともかく、つまりだな、天女が言うには、『この木は阿修羅の万劫(永劫)の罪を償う刑期が半ば過ぎたならば、山から西に張り出した枝が枯れてくるのだ。その時がやってきたら木を切って、三つに分けて、上のものを、三宝(仏教用語で僧の三つの宝、仏、法、僧のことも意味しますが、ここでは、釈迦のことでしょう)から始めて、たう利天(仏教用語、仏界に及ばない六欲天の一つで須弥山しゆみせんの頂にあるという天界のことです。あの寅さんで有名な帝釈天がいるそうです)に差し上げなさい。中のものは親、先祖に、そして下のものは子とその子孫に渡すように』と言われた木なのだ。阿修羅を山守りにされて、春は花園となり、秋は紅葉の林となるこの山に、天女が、下りて来ては、お遊びになる所なのだ。お前のように軽々しく来れば罰が当たるぞ。ましてや、我が長い年月、それは大事に育てた木で割り木を作るのは、『万劫の罪滅ぼしのため。みにくい身から逃れたい』と思ってお守りの木を作っているのだ、お前にほんの少しの分け前もあるものか、何ともあつかましいやつだ、お前には何もやれん」と言って、今にも俊蔭を喰おうとした時、急に大空が明らかに暗くなって、車輪のような大粒の雨が降って、雷が鳴り稲光がしたかと思うと、龍に乗った少年が、下りてきて黄金の札を阿修羅に渡すと天に上っていきました。阿修羅がその札を見てみると、そこには、「三つに分けた木の下のものは、日本の衆生(仏教用語で生命のあるものすべてのこと、ここでは人間の意味でしょう)である俊蔭に与えなさい」と書いてありました。阿修羅は、大変驚いて、俊蔭を七度伏し拝みました。「あなたは尊いお方でしたか。天女の子孫であるに違いありません」と崇めて、言うには、「この木には上下がありますが、下のものは、莫大な利得を得られる木なのです、その一寸を持って何もない土を掘ってごらんなさい、一万恒沙(恒沙はもともと仏教用語で無限の数量を意味します、単位としては1052、1056、1088など違いはありますが、どちらにしてもとんでもない数には違いありません)の宝が出てくる木なのです。下のものは、名誉を得たとしても、長い間宝となるものです」と言って、阿修羅は、木を取り出して、割り木を作るとその響きに、天稚御子が下りてきて、琴を三十作って上って行きました。そして、すぐに、雅楽を演奏しながら天女が下りてきて琴に漆を塗り、次に機織はたおりが、緒を縒って、琴につけて、上っていきました。


続く


by santalab | 2014-04-06 08:27 | 宇津保物語

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