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「宇津保物語」俊蔭(その23)

十二、三になる年、かたち、さらに言ふ限りなし。あたり光輝きて、見る人まばゆきまで見ゆ。心のらうらうじきこと、世に聞こえ高くて、帝、春宮、父に召す。娘にも御文賜へど、我も御返り言聞こえず、娘にも御返りもせさせず。さらぬ上達部、親王みこたちは、まして御文見入るべくもあらず。「娘は、天道に任せ奉る。天の掟あらば、国母、夫人ともなれ。掟なくは、山賤やまがつたみの子ともなれ。我、ともしく貧しき身なり。いかでか、高き交じらひはせさせむ」と言ひて、よき人のたまへど、耳にも聞き入れず。家の門は巡りてして、帝、春宮の御文持たる御使ひ、べての人の使ひは、明け立てば、立ち並みたれど、出で入りもせず。ただ琴を習はしてあり経るほどに、「朝廷おほやけかなふまじき者なり」とて、治部卿ぢぶきやうかけたる宰相になされぬ。




俊蔭の娘が十二、三歳になった年には、容姿は、さらに形容のしようがないほど美しくなっていました。娘のまわりは光輝いて、見る人にはまぶしいほどでした。心も清く澄んでいて、世の評判も上々でしたので、帝、皇太子は、父に参内するように命じました。娘にも恋文を贈りましたが、俊蔭からの返事はありませんでしたし、娘にも返事させませんでした。帝、皇太子でない上達部(左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議、および三位以上の身分の高い者)や、親王(天皇の子で春宮以外の者)たちは、ましてや恋文を読まれることもありませんでした。俊蔭は、「娘の結婚相手は、天道(天上にあるとされる世界。天上界のこと)の決めることです。天の指図あれば、国母(皇太后)、夫人(妃、つまり天皇の正妻に次ぐ地位を持つ後宮の女官、つまり正妻以外の妻)にもなるでしょう。もし定められた掟なければ、木こり、一般人になるかもしれない。わたしは、苦しく貧しい身の上です。どうして、娘をそんなに身分の高い人たちに逢わせることはできません」と言って、俊蔭と親しい人たちが助言しても、聞く耳を持ちませんでした。家の門はまわりに鍵をかけて、帝、皇太子の文を持ってきた使い、すべての人の使いは、夜が明ければ、俊蔭の家の門の前に立ち並びましたが、門から出てくる人もなければ入ることもできませんでした。俊蔭は娘にただ琴だけを教えて過ごしていましたが、「朝廷に仕えよ」と、帝は、治部卿(治部省の長官、今でいえば法務省や外務省を兼ねた役所の長官ですかね)兼任の宰相(今の首相、内閣総理大臣ですね)に任命なされました。


続く


by santalab | 2014-04-15 07:48 | 宇津保物語

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