この帝の、只人になり給ふほどなどおぼつかなし。よくも覚え侍らず。御母、洞院の后と申す。この帝の、源氏にならせ給ふこと、よく知らぬにや、「王侍従」とこそ申しけれ。陽成院の御時、殿上人にて、神社行幸には舞人などせさせ給ひたり。位に就かせ給ひて後、陽成院を通りて行幸ありけるに、「当代は家人にはあらずや」とぞ仰せられける。さばかりの家人持たせ給へる帝も、あり難き事ぞかし。
宇多天皇(第五十九代天皇)が、臣籍降下されておられた時のことは分からん。よく覚えておらんのじゃ。母は、洞院の后(班子女王)と申された。宇多天皇が、源氏になられたことを、よく分かっておられなかったのか、「王侍従」と呼んでおられたそうじゃ。陽成院(第五十七代陽成天皇)の御時、殿上人として、神社行幸には舞人などをされておったんじゃ。帝位に就かれた後、陽成院(現京都市中京区にあったらしい)を通って行幸された時、陽成院が「当代はわしの家人ではないか」と申されたそうじゃ。天皇を家人に持たれた帝は、めったにおらんじゃろうの。