十郎、何事とは知らねども、子細ありと心得て、馬より下り立ち、弓取り直し、「何事にや」と問ふ。この者ども、掛け見れば、片貝はなし。されども、言ひ掛かりたる事なれば、振る舞ひしかるべからず、尋ねて参らん為なりとて、すでに事実に見えけり。始め終はりをも知らず、敵はまた、伯母の若党なり。討ち違へても、詮なし。如何にもして、逃ればやと思ひければ、自ら弓を投げ出だし、「陳ずるには似たれども、身に置きて、事を思えず。さもあれ、僻事ありとも、斯様にはあるまじ。鎮まり給へ。別に思ふ子細ありて、降を請ひ申すなり。自然の時、思ひ知るべし」と言ひければ、
十郎(祐成)は、どういうことかは分かりませんでしたが、何か訳があると思って、馬から下り立ち、弓を持って、「何事だ」と訊ねました。この者どもが、走り寄って見れば、片貝はどこにもいませんでした。けれども、言い掛かりの上は、何もない振りはできなくて、片貝を連れ戻しに来たと、すでに事が起きようとしていました。祐成は何の話かも知れず、敵もまた、伯母の若党([若い侍])でした。刺し違えたところで、何の益もありませんでした。なんとしてでも、その場を逃れようと思って、自ら弓を投げ出だし、「陳ずるに似たものではあるが、この身に何があったのか、何のことやらさっぱり分からぬ。いずれにせよ、讒言する者があったとて、ここまでのこともあるまいまずは鎮まれよ。わたしには別に思うところあって、ここは降参しようと思う。事が起きた時、わたしが申した訳を知るだろう」と申しました。
(続く)