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「曽我物語」三浦の片貝が事(その5)

伊沢いざは平三へいざう、「おほせの如く、人の讒言ざんげんにてもやあるらん。まさしく片貝かたかひを具足して、御来しとこそ聞きつる。さもあらねば、改むるに及ばず。その上、御陳法ちんぽふの上は、重ねてまうすべからず」とて、皆三浦にかへりけり。十郎じふらうは、千々ちぢに腹を切り、討ち違へても、飽かず思ひけれども、父の為に備へて置きたる命、思はざる事に、果つべきかと思ひ、自害を逃れけるこそ、無慙なれ。漢朝かんてう呉王ごわう夫差ふさは、越王ゑつわう勾踐こうせんの為に、みふんみつのみて、命を継ぎ、会稽山くわいけいざんに、再びはぢを清めるも、今の十郎が心に同じ。無慙と言ふも、言葉に余り、あはれと言ふも、涙に立たざりけり。




伊沢平三は、「お主が申す通り、讒言だったかも知れぬ。片貝を連れて、出て行ったと聞いたのだ。そうでないのなら、改めて聞くこともない。その上、お主が陳じたことだ、重ねて申すことはない」と言って、皆三浦(現神奈川県三浦市)に帰って行きました。十郎(祐成すけなり)は、腹を切り、刺し違えてもと、常日頃より思っていましたが、父(河津祐泰すけやす)のために永らえてきた命が、思いがけなくも果てるべきにあらずと、自害を逃れたことは、無念にほかなりませんでした。
漢朝の呉王夫差(呉の第七代、最後の王)は、越王勾踐のために、みふんみつのみて(?。夫差は薪を積んでその上に寝ながらその痛みを憎しみに変えたらしい)、命を継ぎ、会稽山(現浙江省紹興市南部に位置する山)に、再び恥を清めましたが、今の十郎(祐成)の心と同じでした。気の毒と言うにも、言葉にあまり、あわれというにも、涙も及ばないほどでした。


続く


by santalab | 2014-05-11 22:48 | 曽我物語

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