慎んで申しけるは、「仰せまでも候はず。御意とは存ぜず。その上、身に誤り候はねば、無念と申すべきにもあらず。さるに取りては、苦しく候はぬ」とて、片貝をば、別当の許に捨て置き、曽我の里へぞ帰りにける。かの郎等ども、深く勘当しけるとかや。この事を詳しく問ひければ、女のわざにてぞありける。されば、嫉妬の女は、前後を弁へずして、家を失ふ例、今に始めずといへども、かほどの大事出で来なんとは知らで、言ひ合はせけるぞ、まことの嫉妬にてありける。別当は、しかしながら、向顔せざるまでとて、女と離別しける、理とぞ聞こえし。さても、十郎がここへ逃れけるにて、左伝の言葉を思ふに、「身に思ひのあらん時は、万恥を捨てて、害を逃れよ」となり。相合ふ心なるとかや。
祐成は慎んで申すには、「申されるまでもございません。あなたが命じられたなどとは思っておりません。その上、身に覚えがないことですから、無念とは思っておりません。そういうことでございますれば、何も気にしておりません」と申して、片貝を、別当の許に置いて、曽我の里(現神奈川県小田原市)へ帰って行きました。別当は郎等([家来])どもを、強く勘当([主従関係・師弟関係を断つこと])したそうです。このことを詳しく尋ねれば、女(妻)の仕業でした。そういうことで、嫉妬する女は、結果がどうなるかも考えず、家を失う前例は、今にはじまったことではありませんでしたが、これほどの大事になるとも知らないで、女房たちと口裏を合わせることこそ、嫉妬というものでしょう。別当は、そうであれ、二度と顔も見たくないと、女と離別しましたが、当然のことでした。それにしても、十郎(祐成)がこの難を逃れたのは、左伝(『春秋左氏伝』)の言葉を思い出すに、「身に思うところある時は、どんな恥をも捨てて、害を逃れよ」と書かれています。祐成の思いとは同じ心ではなかったでしょうか。
(続く)