中にも結城上野入道が乗つたる舟、悪風に放されて渺渺たる海上に揺られ漂ふ事、七日七夜なり。すでに大海の底に沈むか、羅刹国に堕つるかと思えしが、風少し静まりて、これも伊勢の安野津へぞ吹き着けられける。ここにて十余日を経へて後なほ奥州へ下らんと、渡海の順風を待ちけるところに、にはかに重病を受けて起居も更に叶はず、定業極まりぬと見へければ、善知識の聖枕に寄つて、「このほどまではさりともとこそ存じ候ひつるに、御労り日に随つて重らせ給ひ候へば、今は御臨終の日遠からじと思へて候ふ。相構へて後生善所の御望み怠る事なくして、称名の声の内に、三尊の来迎を御待ち候ふべし。さても今生には、何事をか思し召し置かれ候ふ。御心に懸かる事候はば仰せ置かれ候へ。御子息の御方様へも伝へ申し候はん」と云ひければ、
中でも結城上野入道(結城宗広。南朝方)が乗った舟は、悪風に流されて渺渺([果てしなく広いさま])たる海上に揺られ漂うこと、七日七夜でした。すでに大海の底に沈むか、羅刹国([人を食う鬼の住む国])に堕ちるかと思えましたが、風が少し静まって、この舟も伊勢の安野津(現三重県津市)に吹き着けられました。ここに十日余りを送りましたがなおも奥州に下ろうとして、渡海の順風を待つところに、結城宗広は急に重病となり起居もままならず、定業([前世から定まっている善悪の業報])の極みと思えて、善知識([人々を仏の道へ誘い導く人])の聖は枕元に寄って、「このほどまでまったく思いもしなかったことでございますが、ご病気のほど日を経るごとに重らせているようにお見受けいたします、今はご臨終の日もそう遠くはないことと思えます。一心に後生善所([来世には極楽浄土に生まれるということ])のお望み怠ることなく、称名([阿弥陀仏の御名])の声の内に唱えて、三尊([阿弥陀仏と、左右の観世音菩薩と勢至菩薩])の来迎をお待ちなさいますよう。さて今生に、思い置かれることはございますか。気になっておられることがございますれば申し置かれますよう。ご子息にも伝え申し上げましょう」と言いました、
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続く)