「『若有聞法者無一不成仏』は、如来の金言、この経の大意なれば、八寒八熱の底までも、悪業の猛火たちまちに消えて、清冷の池水まさに湛へん」と、導師称揚の舌を延べて玉を吐き給へば、聴衆随喜の涙を流して袂を潤しけり。これしかしながら地蔵菩薩の善巧方便にして、かの有様を見せしめて追善を致さしめんが為なり。結縁の多少に依つて、利生の厚薄はありとも、仏前仏後の導師、大慈大悲の薩埵に値遇し奉らばば真諦俗諦善願の望みを達せん。今世後世よく引導の御誓ひ頼もしかるべき御事なり。
「『若有聞法者無一不成仏』(法を聞く者は一人として成仏しない者はいない。『法華経』方便品)は、釈迦如来の金言、法華経の大意ですれば、八寒地獄八熱地獄の底までも、悪業の猛火はたちまちに消えて、清冷の池水は湛えることでしょう」と、導師が称揚([称賛])言葉を述べると、聴衆は随喜の涙を流して袂を濡らしました。これは地蔵菩薩が善巧([人々の機根に応じて巧みに善に教え導き、仏の利益を与えること])の方便([人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段])でした、結城入道(結城宗広)の有様を見せて追善供養をさせようとしてのことでした。結縁([仏法と縁を結ぶこと])の多少により、利生([仏・菩薩が衆生に与える利益])に厚薄はありますが、仏前仏後の導師が、大慈大悲の薩埵(観世音菩薩)に値遇([仏縁あるものにめぐりあうこと])して真諦俗諦善願(真諦行こう絶対不変の真理。と俗諦=世間の道理。の願 )された望みを達することでしょう。今世後世を引導([衆生を導いて悟りの道に入らせること])なされた誓いは頼もしいものでした。
(続く)