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「太平記」資朝俊基関東下向の事付御告文の事(その5)

夜痛く更けて、「誰か候ふ」と召されければ、「吉田の中納言冬房ふゆふさ候ふ」とて御前おんまへこうす。主上席を近づけておほせありけるは、「資朝すけとも俊基としもとが捕らはれし後、東風とうふうなほいまだしづかならず、中夏ちゆうか常にあやふきを踏む。この上にまたいかなる沙汰をか致さんずらんと、叡慮更に不穏。如何いかんして先づ東夷とういしづむべきはかりごとあらん」と、勅問ちよくもんありければ、冬房謹んで申まうしけるは、「資朝・俊基が白状はくじやうありともうけたまはり候はねば、武臣この上の沙汰には及ばじと存じ候へども、この頃東夷の振る舞ひ、楚忽そこつの義おほく候へば、御油断あるまじきにて候ふ。先づ告文かうぶん一紙を下されて、相摸入道にふだうが怒りを静めさふらはばや」と申されければ、主上げにもとや思し召されけん、「さらばやがて冬房書け」とおほせありければ、すなはち御前おんまへにして草案さうあんをして、これを奏覧す。君しばらく叡覧あつて、御涙の告文にはらはらとかかりけるを、御袖にて押しのごはせ給へば、御前に候ひける老臣、皆悲啼ひていを含まぬはなかりけり。




夜がすっかり更けて、後醍醐天皇が「誰かおるか」と呼ばれたので、「吉田中納言冬房(吉田冬房)がおります」と申して御前に参りました。主上(後醍醐天皇)は席を近づけて申すには、「資朝(日野資朝)・俊基(日野俊基)が捕らわれてより、東風はいまだ収まらず、中夏([都])は常に危うい。この上またどのような沙汰があるかと思えば、わたしの心は穏やかでない。どうにかして東夷([無骨で粗野な東国武士])の横暴を鎮めようと思うが何か妙案はないか」と、勅問([天子の質問])されたので、冬房(吉田冬房)は畏まって申すには、「資朝・俊基が謀反を白状したとは聞いておりません、武臣はこれ以上の沙汰には及ぶことはないと思いますが、この頃の東夷の振る舞いは、楚忽([唐突でぶしつけなこと])なところが多くありますので、油断なさらないことです。まず告文([自分の言動に虚偽のないことを、神仏に誓ったり、相手に表明したりするために書く文書])を
一枚下されて、相模入道(北条高時たかとき)の怒りを静められてはいかがでしょう」と申すと、主上(後醍醐天皇)もなるほどと思われて、「ならばすぐに冬房(吉田冬房)が書け」と命じたので、後醍醐天皇の御前で草案([下書き])して、これを奏覧しました。君(後醍醐天皇)はしばらく叡覧して、涙が告文にはらはらと零れ落ちるのを、袖で押し拭ったので、御前の老臣は、皆泣き声を上げて泣きました。


続く
by santalab | 2014-05-22 08:43 | 太平記

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