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「太平記」小弐与菊池合戦事付宗応蔵主事(その2)

菊池は手合はせの合戦に打ち勝つて、門出よしと悦んで、やがてその勢を卒し、小弐入道妙恵めうゑが立て籠もつたる内山の城へぞ押し寄せける。小弐宗との兵をば皆頼尚よりなほに付けて、その勢過半水木みづきの渡しにて討たれぬ。城に残る勢わづかに三百人にも足らざりければ、菊池が大勢に可叶とも思へず。されども城の要害厳しかりければ、切岸きりきしの下に敵を見下ろして、防ぎ戦ふ事数日すじつに及べり。菊池新手を入れ替へ入れ替へ夜昼よるひる十方より攻めけれども、城中の兵一人いちにんも討たれず、矢種やだねもいまだ尽きざりければ、いかに攻むるとも落とせぬものをと思ひけるところに、小弐が一族らにはかに心替はりしてつめの城に引き上がり、中黒なかぐろの旗を上げて、「我らいささか所存しよぞん候ふ間宮方へまゐり候ふなり。御同心候ふべしや」と、妙恵めうゑが方へ言ひ遣はしければ、一言の返答にも及ばず、「賎しくも永らへて義なからんよりは、死して名を残さんには不如」と言ひて、持仏堂ぢぶつだうへ走り入り、腹掻き切つて臥しにけり。




菊池(武俊たけとし)は手合わせの合戦に打ち勝つて、門出よしとよろこんで、やがてその勢を引き連れ、小弐入道妙恵(小弐貞経さだつね)が立て籠もっていた内山城(有智山城。現福岡県太宰府市内山にあった山城)へ押し寄せました。小弐(貞経)は主だった兵を皆頼尚(小弐頼尚。貞経の嫡男)に付けて、その勢のほとんどを水木の渡し(現福岡県甘木市)で討たれていました。城に残る勢はわずか三百人にも足りなくて、菊池(武俊)の大勢に敵うとも思えませんでした。けれども城の要害([地形がけわしく守りに有利なこと])は強固でしたので、切岸([絶壁])の下に敵を見下ろして、防ぎ戦うこと数日に及びました。菊池(武俊)は新手を入れ替え入れ替え夜昼十方より攻めました、城中の兵は一人も討たれず、矢種も尽きていなかったので、菊池(武俊)はどれだけ攻めても落とせないと思っていましたが、小弐(貞経)一族は急に心変わりしてつめの城([戦時の最後の拠点となる山城])に上って、中黒の旗(新田氏の家紋。大中黒)を上げて、「われらには少々思うところがあり宮方(南朝)へ参ろうと思う。同意するか」と、妙恵(小弐貞経)の方に言い遣わすと、妙恵は一言も返答せずに、「情けなく永らえて義を果たせないならば、死んで名を残したほうがましじゃ」と言って、持仏堂([持仏や先祖の位牌を安置しておく堂])に走り入り、腹を掻き切って倒れ臥しました。


続く
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by santalab | 2014-06-06 20:08 | 太平記 | Comments(0)

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