ここにしばらく控へて、畿内の案内者を先に立てて、後詰めのなき様に山を刈り廻り、家を焼き払うて、心安く城を攻むべきなんど評定ありけるを、本間・渋谷の者どもの中に、親被打子被討たる者多かりければ、「命生きては何かせん、よしや我らが勢ばかりなりとも、馳せ向かうて討ち死にせん」と、憤りける間、諸人皆これに被励て、我も我もと馳せ向かひけり。かの赤坂の城と申すは、東一方こそ山田の畔重々に高くして、少し難所の様なれ、三方は皆平地に続きたるを、堀一重に屏一重塗つたれば、如何なる鬼神が籠もりたりとも、何ほどの事か可有と寄せ手皆これを侮り、また寄すると等しく、堀の中、切り岸の下まで攻め付いて、逆茂木を引き退けて打つて入らんとしけれども、城中には音もせず、これはいかさま昨日の如く、手負ひを多く射出だして漂ふところへ、後詰めの勢出だして、揉み合はせんずるよと心得て、寄せ手十万余騎を分けて、後ろの山へ差し向けて、残る二十万騎稲麻竹葦の如く城を取り巻いてぞ攻めたりける。
ここにしばらく控えて、畿内の案内者を先に立てて、後詰めをされないように山を刈り廻り、家を焼き払って、安心して城を攻めるべきだと評定があり、本間・渋谷の者どもの中に、親討たれ子討たれたる者が多くいたので、「命生きて何になろう、ならば我らの勢ばかりなりとも、馳せ向かって討ち死にしようではないか」と、憤慨したので、諸人も皆これに励まされて、我も我もと馳せ向かいました。かの赤坂城と申すのは、東は一方こそ山田の畔を重ねて高くして、少し難所の様に見えましたが、三方は皆平地に続いていたので、堀一重に屏一重塗っただけでは、どんな鬼神が籠もろうとも、何の役に立つものかと寄せ手は皆これを侮って、また寄せると同時に、堀の中、切り岸([絶壁])の下まで攻め付いて、逆茂木を引き退けて打って入ろうとしましたが、城中には音もせず、これはきっと昨日のように、手負いを多く射出して落ちるところを、後詰めの勢を出して、戦わせる積もりと心得て、寄せ手十万余騎を分けて、後ろの山へ差し向けて、残る二十万騎を稲麻竹葦([何重にも取り囲まれているさま])の如く城を取り巻いて攻めました。
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続く)