かく、遥かなるほどをし歩くも、苦しう思えて、「いかで、この山に、さるべき所もがな。近くて養はむ」と思ひて、山深く入りて見れば、いみじう厳しき杉の木の、四つ、物を合はせたるやうにて立てるが、大きなる屋のほどに空き合ひてあるを見て、この子の思うやう、「ここに我が親を据ゑ奉りて、拾ひ出でむ木の実をも、先づ参らせばや」と思ひて、寄りて見るに、厳めしき牝熊 、牡熊 、子生み連れて住むうつほなりけり。出で走りて、この子を食まむとする時に、この子の言はく、「しばし待ち給へ。まろが命断ち給ふな。まろは、孝の子なり。親、同胞もなく、使ふ人もなくて、荒れたる家に、ただ一人住みて、まろが参る物に懸かり給へる母持ち奉れり。里にはすべき方もなければ、かかる山の木の実、葛の根を取りて、親に参るなり。高き山、深き谷を下り上り、まかり歩きて、朝に罷り出でて、暗う罷り帰るほどだに、後ろめたう悲しく侍れば、かかる山の王住み給ふとも知らで、『この木のうつほに、母を据ゑ奉りて、芋一筋を掘り出でても、先づ参らむ。また、遠き道をも、親のためにと罷り歩けば、苦しうも思えねど、つれづれと待ち給ふらむも悲しう侍れば、近く』と思ひ給へて、見侍りつるなり。されど、かく領じ給ひける所なれば、罷り去りぬ。むなしくなりなば、親も徒らになり給ひなむ。おのが身の内に、親を養はむに用なき所あらば、施し奉るべし。足なくは、いづくにてか歩かむ。手なくは、何にてか、木の実、葛の根をも掘らむ。口なくては、いづこよりか、魂通はむ。腹、胸なくは、いづくにか、心のあらむ。この中に徒らなる所は、耳の端、鼻の峰なりけり。これを、山の王に施し奉る」と、涙を流して言ふ時に、牝熊、牡熊、荒き心を失ひて、涙を落として、親子の愛しさを知りて、二人の熊、子どもを引き連れて、この木のうつほをこの子に譲りて、異峰に移りぬ。
こうして、遥か遠くの山まで歩くのは、大変でしたので、「どこか、この山に、住める所はないかな。山の近くで母を養いたい」と思って、山深くに入ってみると、とてもりっぱな杉の木が、四本、身に添うように立っていて、大きな家ほどの穴が開いているのを見て、子が思うには、「ここにわたしの親を住まわせれば、拾った木の実を、すぐに差し上げられるのに」と思って、木の近くによって、よく見れば、おおきな牝熊と、牡熊、生まれた子を連れて住んでいる虚(空洞)でした。熊は走り出てきて、子を食べようとしたので、子は、「少し待ちなさい。わたしの命を絶つのはやめてくれ。わたしは、孝行の子だ。父親、兄弟もなく、使用人もなくて、荒れた家に、ただ一人で住む、わたしが持って帰る食べ物を頼りにしている母がいる。里には食べ物を得る手段がないので、この山の木の実、葛の根を取って、親に持って帰るのだ。高い山や、深い谷を下ったり上ったりして、毎日ここへ来るが、朝に家を出て、暗くなってから家に帰る、家に残した母が気がかりでつらく思うので、この山の王が住んでいるとは知らずに、『この木の空洞に、母を住ませたら、芋一本でも、すぐに差し上げることができる。また、遠い道のりも、親のためを思って出かけるのであれば、つらくはないが、ずっと待ち続けている母を思うと悲しくて、山の近くに移ろう』と思って、住める場所を探していたのだ。けれども、すでに所有された所ならば、ここを去ろう。もしもわたしが死んでしまえば、親も生きていくことができない。わたしの体の中で、親を養うのに不要な所であれば、与えよう。足がなければ、歩くことができない。手がなくては、どのようにして、木の実、葛の根を掘ったらいいのだろう。口がなければ、どのようにして心を通わせたらいいのか。腹や、胸がなければ、どこに心を置けばいい。体の中で不要な所は、耳の端と、鼻筋だけだ。これを、山の王に与えよう」と、涙を流して言うと、牝熊も、牡熊も、獰猛な心を失って、涙を落し、この親子の愛情を理解しました、二匹の熊は、子どもを引き連れて、この木のうつほを子に譲って、別の山へ移って行きました。
(続く)