その上、この木のうつほを得て、木の皮を剥ぎ、広き苔を敷きなどす。芋掘り初めし童出で来て、うつほの巡り掃き清めて歩けば、前より泉出で来る、堀り改めて、水流れ、面白くなりぬ。返す返す喜びて、母の御許に行きて、言ふほに、「いざ給へ、まろが罷る所へ。こことても、まろならぬ人の見えばこそあらめ。かく出でて罷り歩くほど、つれづれと待ち給ふほど、苦しうおはしますらむ。『かくて、悪しうもようも罷り歩かむ』と思へど、『人の、馬、牛を飼はせても使はば、親の御ために、さる下衆の母と言はれ給はむこと』と思ふ。さらによきこと、はた、難かるべし。『同じくは、人も見ぬ山に籠りて、人に知られじ』となむ思ふ。心には、『片時にも通はむ。飛ぶ鳥につけても奉らむ』と思へば、それ、えさもあらず。いざ給へ、まろが罷る所へ。され物し給はば、木の実一つにても、易く参らむ。罷り歩くことも、休まむ」と言へば、「何かは。我が子のいませむ方には、いづちもいづちも行かざらむ。里に住めども、あこよりほかに見え通ふ人のあらばこそ」とて出で立つ。この家の内には、物もなし。屋も、皆毀れ果てにたり。かの父の遺言し給ひし琴ども皆取う出て、また、弾きし琴ども、この子して運ばせて、「今は」と、もろともに行くに、万の事、悲しとは疎かなり。
涙川 淵瀬も知らぬ 緑子を しるべと頼む 我や何なり
などと言ふほどに、うつほに至りぬ。
こうして、この木のうつほを手に入れることができたので、木の皮を剥いで、広く苔を敷いたりしました。芋掘りを始めるきっかけとなった童が出てきて、うつほのまわりを掃いてきれいにすると、うつほの前から泉が湧き出しました。泉をきれいに掘ると、水が流れ出し、驚きました。何度も喜んで、母の元へ帰って、言うには、「さあ行きましょう、わたしが連れて行く場所に。ここに居ても、わたし以外の人に会うこともないでしょう。毎日山へ出かけていきますが、母をずっと待たせることが、心苦しいのです。『こうして、良くも悪くも山へ出かけて行く』のは、『人が、飼っている馬や、牛を使う仕事をすれば、親のためにはなりますが、あの下衆(身分が低いこと)の母だと陰口されるのがかわいそう』に思えるからなのです。他にもっといい方法は、きっと、ないと思います。『ここにいても、人と会わない山に籠っても、人に知られないのは同じ』だと思うのです。『すぐに出かけましょう。飛ぶ鳥に付けても連れて参りましょう』と思っています、さあ、とにかく参りましょう。すぐに出かけましょう、わたしの行く所へ。そこに行けば、木の実一つも、すぐに差し上げることができます。遠くまで出かけることも、もうありません」と言えば、「どうして行かないことがありましょう。我が子の行くところがどこであろうとも付いていきます。里に住んでいても、我が子のほかに会う人もいませんから」と言って出発しました。娘の家には、何も持って行く物がありませんでした。屋根も皆壊れ果てていました。父(俊蔭)が遺言した琴を皆穴から取り出して、そして、弾いていた琴といっしょに、この子に運ばせました、「さあ行きましょう」と、一緒に出かけましたが、万感の思いも、決して悲しいものではありませんでした。
涙を流すことなど何もありません。我が子をしるべのように頼りにしているわたしですから、子についていく限り、何がおころうとも悲しくはありません。
と言いながら、うつほにたどり着きました。
(続く)