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「太平記」桜山自害事(その1)

さるほどに桜山四郎入道にふだうは、備後の国半国ばかり打ち従へて、備中へや越えまし、安芸をや退治たいぢせましと案じけるところに、笠置かさぎの城も落ちさせ給ひ、楠木も自害したりと聞こへければ、一旦の付き勢は皆落ち失せぬ。今は身を離れぬ一族、年来の若党わかたう二十にじふ余人ぞ残りける。この頃こそあれ、その昔は武家けんを執つて、四海九州の内尺地せきちも不残ければ、親しき者も隠し得ず、うときは増して不被頼、人手に懸かりてかばねを晒さんよりはとて、当国たうごくの一の宮へ参り、八歳になりける最愛の子と、二十七になりける年来の女房とを刺し殺して、社壇に火を懸け、己が身も腹掻き切つて、一族若党二十三人皆灰燼ぐわいじんとなつて失せにけり。




さるほどに桜山四郎入道(桜山慈俊これとし)は、備後国(現広島県東部)半国ばかりを打ち従えて、備中(現岡山県西部)へ越えようか、安芸(現広島県西部)を退治しようかと考えていましたが、笠置城(現京都府相楽さうら郡)も落とされ、楠木(楠木正成まさしげ)も自害したと聞こえてきたので、一旦の付いた勢は皆落ち失せてしまいました。今は身を離れぬ一族、年来の若党([若い侍])二十人余りが残るだけでした。この頃ではともかく、その昔は武家が権威を誇っていたので、四海九州の内に尺地([わずかな土地])も残らず、親しい者を隠し置くこともできませんでした、まして疎遠な者を頼ることもできずに、人手に懸かって屍を晒すよりはと、当国の一の宮(現広島県福山市にある吉備津きびつ神社)へ参り、八歳になりける最愛の子と、二十七になる年来の女房を刺し殺して、社壇に火を懸け、慈俊自身も腹を掻き切って、一族若党二十三人皆灰燼となって失せました。


続く
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by santalab | 2014-06-12 07:50 | 太平記 | Comments(0)

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