母御前力なく、五朗が遺跡なれば、名残り惜しくは思へども、ここにて、日を送るべき事ならねば、別当に暇を請ひ、帰るとて、虎御前に申されけるは、「曽我へいざさせ給へ、十郎が形見に見参らせ候はん」と言はれければ、虎、「もつとも御供申し候ひて、形見にも見え参らせたくは候へども、これより善光寺への心ざし候ふ。下向にこそ参り候はめ」とて、行き別れぬ。
母御前は仕方なく、五朗(曽我時致)の遺跡([縁のある場所])ならば、名残り惜しくは思いましたが、ここ(箱根)で、日を送る訳にもいかず、別当(行実僧正)に別れを申して、帰る折、虎御前(大磯の遊女、曽我祐成の妾)に申すには、「曽我(神奈川県小田原市)へ一緒に参りましょう、十郎(曽我祐成)の形見の場所ですから」と言いましたが、虎御前は、「お供申し上げ、形見にお目にかかりたいのは山々ではございますが、わたしはこれより善光寺(長野県長野市にある寺)に参りたいと思います。善光寺からの帰りには必ず参りましょう」と言って、祐成の母と行き別れました。
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続く)