虎は、里の翁に遭ひて、問ひけるは、「過ぎにし夏の頃、鎌倉殿の御狩りの時、親の仇打ちて、同じく討たれし曽我の人々の跡や知らせ給ひ候ふ。教へさせ給へ」と言ひければ、この翁、心ある者にて、虎が顔を、つくづくと見て、「もし御縁にて渡らせ給ひ候ふか。痛はしき御有様かな、人をも連れさせ給ひ候はず、ただ一人、これまで御尋ね候ふ事、なほざりの御心ざしとも思えず。もし十郎殿、御心ざし深く渡らせ給ひし、大磯の虎御前にておはしまし候ふか。ありのままに承り候はば、教へ参らせん」と言ひければ、虎は、これを聞き、別れの涙、いまだ乾かぬに、また打ち添へて、賎の男が情けの言葉に、愁への色現れて、問ふにつらさの涙、忍びも敢へぬ気色を見て、翁、さればこそと思ひて、ともに袖をぞ絞りける。
虎御前(曽我祐成の妾)は、井出の里(静岡県富士宮市)で老人に遭って、訊ねるには、「去る夏の頃、鎌倉殿(源頼朝)が狩りをされましたが、親の仇を打ち、討たれた曽我の人たち(曽我祐成とその弟時致)に縁のある所を知っておられませんか。教えていただきたいのです」と申すと、老人は、虎御前の顔を、じっと見て、「もしや所縁の人でございますか。なんと痛わしいお姿でしょう、人をお連れもならずに、ただお一人で、ここまで訪ねて来られるとは、なおざりのお気持ちとも思えません。ひょっとして十郎殿(曽我祐成)が、深く思っておられた、大磯(神奈川県中郡)の虎御前ではありませんか。本当のことを教えていただければ、お教えいたしましょう」と言ったので、虎御前は、これを聞いて、祐成の母との別れの涙も、まだ乾いていませんでしたが、またそれに添えて、賎の男([身分の低い男])の情けある言葉に、悲しみが湧き出て、問われてつらく思う涙は、こらえることができませんでした、老人はこれを見て、虎御前に違いないと思い、ともに袖の涙を絞りました。
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続く)