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「承久記」中の院阿波の国へ移り給ふ事(その1)

うるふ十月十日、土御門の中の院、土佐の国へ移されさせ給ふ。この院は今度御みなし。その上賢王にて渡らせ給ひければ、鎌倉よりもなだめ奉りけるを、「我ことごとくも法皇を配所へ遣り奉りて、その子として華洛からくにあらん事、冥の照覧憚りあり。また何の益かあらんや。承元しようげん四年の恨みは深しといへども、人界に生を受くる事は、父母ぶもの恩報じても報じ難し。一旦の恨みに依つて、永く不孝の身とならんこと罪深し。されば同じき遠島へ流れん」と、度々関東へ申させ給ひければ、惜しみ奉りながら、力なく流し奉りけり。




閏十月十日に、土御門中院(第八十三代天皇)が、土佐国に配流になりました。
土御門院は今度の謀反に関与していませんでした。その上賢王でしたので、鎌倉より減刑されていましたが、「わたし以外に法皇(後鳥羽院)までもが配所へ流され、その子でありながら華洛([京])に留まることは、冥土の照覧([神仏が御覧になること])にも差し障りがあろう。また都に留まったところで何かよいことがあるものでもなし。承元四年(1210)の恨み(土御門院が帝位を下された年)は深いが、人界に生を受けたことは、父母の恩に報いようとも報いきれないものだ。一旦([一時])の恨みによって、永く不孝の身になることは罪深いことである。ならば同じように遠島に流されよう」と、何度も関東(鎌倉幕府)に申されたので、惜しみながらも、仕方なく配流したのでした。


続く
by santalab | 2014-06-16 08:24 | 承久記

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