人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「曽我物語」母歎きし事(その4)

いにしへは何とも見ざりし衣裳いしやうの紋、今は目に立ちて、思ひ残せる事もなし。やがてかへるべき道だにも、差し当たりたる別れは悲しきに、帰らん事は不定ふぢやうなり。まみえん事も、今ばかりぞと思えば、肝たましひも身に添はず。一萬いちまん大人しやかに、「余り御歎きさうらひそ。御思ひを見奉れば、道安かるべしとも思えず。もし斬られまゐらせば、前世ぜんぜの事と思し召せ」と言ひければ、筥王はこわう、「兄のおほせらるる如く、御歎きを御止め候へ。同じ御歎きながら、敵を致したる事も候はず。そのうへ、いまだをさなく候へば、御許しも候ふべし。仏にも御まうし候へ」。まことにげにげにしく申すに付けても、いよいよ名残りぞしかりける。さりともとは思へども、まさしき御敵なり。かへらん事は、不定ふぢやうなり。止まりて、物思はん事も、悲しければ、一所ひとところにて、如何にもならんと、出で立ちけるぞ、あはれなる。




昔はなんとも思わなかった衣の紋が、今は目に付いて、思い残すものもありませんでした。すぐに帰る旅でさえ、別れの際は悲しいものですが、この度は帰るかどうかも知れませんでした。見ることも、今限りと思えば、肝魂も身から離れるようでした。一萬は大人っぽく、「そんなに悲しまないでください。母の姿を見ておりますと、気安く旅立てるようには思えません。もしわたしが斬られたら、前世の報いと思いなさいませ」と言うと、筥王も、「兄が申されるように、悲しまないでください。(祖父と)同じ悲しみとはいえ、敵となったこともありません。その上、まだわたしたちは幼いので、お許しがあることでしょう。仏にもお祈りくださいませ」。もっともなことを申すに付けても、ますます名残り惜しく思われました。そうとは思ってみても、鎌倉殿(源頼朝)にとってみれば敵でした。帰れるかどうかも、分かりませんでした。ここに残って、物思いにふけるのも、悲しくて、同じ所で、どうにもなりたいと、母も出て行こうとするのは、あわれなことでした。


続く
by santalab | 2014-06-17 10:16 | 曽我物語

<< 「曽我物語」母歎きし事(その5)      「曽我物語」母歎きし事(その3) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧