古は何とも見ざりし衣裳の紋、今は目に立ちて、思ひ残せる事もなし。やがて帰るべき道だにも、差し当たりたる別れは悲しきに、帰らん事は不定なり。見えん事も、今ばかりぞと思えば、肝魂も身に添はず。一萬大人しやかに、「余り御歎き候ひそ。御思ひを見奉れば、道安かるべしとも思えず。もし斬られ参らせば、前世の事と思し召せ」と言ひければ、筥王、「兄の仰せらるる如く、御歎きを御止め候へ。同じ御歎きながら、敵を致したる事も候はず。その上、いまだ幼く候へば、御許しも候ふべし。仏にも御申し候へ」。まことにげにげにしく申すに付けても、いよいよ名残りぞ惜しかりける。さりともとは思へども、まさしき御敵なり。帰らん事は、不定なり。止まり居て、物思はん事も、悲しければ、一所にて、如何にもならんと、出で立ちけるぞ、哀れなる。
昔はなんとも思わなかった衣の紋が、今は目に付いて、思い残すものもありませんでした。すぐに帰る旅でさえ、別れの際は悲しいものですが、この度は帰るかどうかも知れませんでした。見ることも、今限りと思えば、肝魂も身から離れるようでした。一萬は大人っぽく、「そんなに悲しまないでください。母の姿を見ておりますと、気安く旅立てるようには思えません。もしわたしが斬られたら、前世の報いと思いなさいませ」と言うと、筥王も、「兄が申されるように、悲しまないでください。(祖父と)同じ悲しみとはいえ、敵となったこともありません。その上、まだわたしたちは幼いので、お許しがあることでしょう。仏にもお祈りくださいませ」。もっともなことを申すに付けても、ますます名残り惜しく思われました。そうとは思ってみても、鎌倉殿(源頼朝)にとってみれば敵でした。帰れるかどうかも、分かりませんでした。ここに残って、物思いにふけるのも、悲しくて、同じ所で、どうにもなりたいと、母も出て行こうとするのは、あわれなことでした。
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続く)