さて、かの二人の尼、心ざし浅からず、虎、峰に上りて、花を摘めば、少将、谷に下りて、水を結び、一人、花を供ふれば、一人は、香を焚き、ともに一仏浄土の縁を結ぶ。谷の水、峰の嵐、発心の媒と成り、花の色、鳥の声、自づから観念の頼りと成る。つくづく思へば、はつふつ転変の理、四相遷流の習ひ、三界より下界に至るまで、一つとして逃るべき様なし。日月天に廻りて、有為を旦暮に顕し、寒暑時を違へずして、無常を昼夜に尽くす。
さて、かの二人の尼(虎御前と手越少将)は、仏道に帰依する心ざし浅からず、虎御前(祐成の妾)が、峰に上り、花を摘めば、手越少将(工藤祐経の妾)は、谷に下りて、水を汲み、一人が、花を供えれば、一人は、香を焚き、ともに一仏浄土([阿弥陀仏の極楽浄土])に往生することを願いました。谷の水、峰の嵐は、発心の仲立ちとなり、花の色、鳥の声は、自然と観念([物事に対してもつ考え])の頼りとなりました。つくづく思へば、はつふつ転変(万物転変?[転変]=[生滅・変化すること])の道理、四相遷流([四相]=[生・老・病・死])の習いは、三界([欲界・色界・無色界])より下界([人間界])にいたるまで、一つとして遁れることはできませんでした。日月は天を廻り、有為([生滅する現象世界の一切の事物])を旦暮([朝夕])に顕し、寒暑は時に従い、無常を昼夜に尽くすのでした。
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続く)