「人を哀れと心留めむは、いと悪ろかべきことと、古より思ひ得て、すべていかなる方にも、この世に執り留まるべきことなく、心遣ひをせしに、大方の世につけて、身の徒らには旧れぬべかりし頃ほひなど、と様かう様に思ひ廻らししに、命をもみづから捨てつべく、野山の末に放らかさむに、殊なる障りあるまじくなむ思ひなりしを、末の世に、今は限りのほど近き身にてしも、あるまじき絆し多う係ひて、今まで過ぐしてけるが、心弱うも、もどかしきこと」など、さして一つ筋の悲しさにのみはのたまはねど、思したる様の理に心苦しきを、哀ほしう見奉りて、「大方の人目に、何ばかり惜しげなき人だに、心の内の絆し、おのづから多う侍るなるを、増していかでかは心安くも思し捨てむ。さやうに浅へたることは、かへりて軽々しきもどかしさなども立ち出でて、中々なることなど侍るを、思し立つほど、鈍き様に侍らむや、遂に澄み果てさせ給ふ方、深う侍らむと、思ひ遣られ侍りてこそ。古の例などを聞き侍るにつけても、心に驚かれ、思ふより違ふ節ありて、世を厭ふついでになるとか。それはなほ悪るきこととこそ。なほ、しばし思し和めさせ給ひて、宮たちなども大人びさせ給ひて、まことに動きなかるべき御有様に、見奉りなさせ給はむまでは、乱れなく侍らむこそ、心安くも、うれしくも侍るべけれ」など、いと大人びて聞こえたる気色、いと目安し。
六条院【光源氏】は「女はかわいそうなものだからと未練を残すことは、情けないことだと、昔から思ってきた、何につけ、この世に執着しないようにと、心使いをしてきたつもりだったのだ、どんな時でも、須磨や明石でただ日々を過ごした頃さえも、あれこれ思い悩んで、命を自ら捨てたいと思っていたし、野山の片隅に屍をさらけ出したところで、大した障り([支障])もないものと思っていた、その後、余生わずかとなるに従って、なくていい絆し([人の心や行動の自由を縛るもの])が多くなって、今まで世を過ごしてきたが、出家を決心できなかったことを、後悔している」などと、ただ紫の上の死が悲しいと口には出しませんでしたが、明石の御方はつらく思うのも当然のことと、かわいそうに思いました、「人から見れば、出家をためらわないような人であっても、心の内にはそれを妨げる事柄が、自然と多くあるものです、ましてあなたのようなお方が気安く出家などできましょうか。浅はかなお考えて出家なされては、かえって軽々しいことをなさったとつまらない噂も立ち、後悔なさることもありましょう、出家を思い立たれたのなら、よくよくお考えになられた上でなさった方が、結局心清らかに、深く帰依([神仏や高僧を信じてその力にすがること])できるのではないかと、思っております。昔の例などを聞きましても、思いがけないことや、思うようにならないことで、世を遁れるようでございます。それはよくないことだと思うのです。しばらく心落ち着けて、宮たち(明石の御方の娘、明石中宮の子)たちが大きくなられて、各々がりっぱになられるのを、見届けるまでは、出家に心を惑わされないことの方が、安心で、うれしく思います」などと、落ち着いて話すのを、六条院【光源氏】は感じがよい人だと思いました。
(続く)