中将の君の、東面にうたた寝したるを、歩みおはして見給へば、いとささやかにをかしき様して、起き上がりたり。面付き華やかに、匂ひたる顔をもて隠して、少しふくだみたる髪のかかりなど、をかしげなり。紅の黄ばみたる気添ひたる袴萱草色の単衣、いと濃き鈍色に黒きなど、うるはしからず重なりて、裳、唐衣も脱ぎすべしたりけるを、とかく引き掛けなどするに、葵を傍らに置きたりけるを寄りて取り給ひて、「いかにとかや。この名こそ忘れにけれ」とのたまへば、
「さもこそは よるべの水に 水草ゐめ 今日のかざしよ 名さへ忘るる」
と、恥ぢらひて聞こゆ。げにと、いとほしくて、
「おほかたは 思ひ捨ててし 世なれども 葵はなほや 摘みをかすべき」
など、一人ばかりをば思し放たぬ気色なり。
中将の君(故紫の上の女房)は、東面の部屋でうたた寝をしていたので、六条院【光源氏】が近付いて見ると、とても小柄でかわいらしく、けれどすぐに起き上がりました。顔付きは華やかで、寝起きの顔を隠すように、髪で覆うその姿が、魅力的に見えました。紅の黄色がかった袴、萱草色([薄い橙色])の単衣、濃い鈍色([ねずみ色])に黒色の表着などを、無造作に重ねて、裳、唐衣([丈の短い上着])も脱いでいましたが、急ぎ引っ掛けるのを見ながら、葵がそばに置いてあったのを六条院【光源氏】は近く寄りて取ると、「何だっかかな。この名を忘れてしまった」と申せば、中将の君は、
「寄る瓮の水([神前のかめにたたえられた水。神霊を寄せるためのものという])にさえ水草が生うほどに、疎くなられてしまわれた院でございますけれども、わたしばかりでなく今日の挿頭にした葵の名をお忘れになられるとは。」
と、恥じらいながら答えました。六条院【光源氏】は、そうであった、かわいそうなことをしたと、
「ほとんど世を捨ててしまったわたしではあるが、この葵ばかりは、摘まずにはおれないようだ。罪深いことではあるが。」
などと、中将の君ばかりには心残りがあるように見えました。
(続く)