いと暑き頃、涼しき方にて眺め給ふに、池の蓮の盛りなるを見給ふに、「いかに多かる」など、先づ思し出でらるるに、惚れ惚れしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり。ひぐらしの声華やかなるに、御前の撫子の夕映えを、一人のみ見給ふは、げにぞ甲斐なかりける。
「つれづれと わが泣き暮らす 夏の日を かことがましき 虫の声かな」
蛍のいと多う飛び交ふも、「夕殿に蛍飛んで」と、例の、古事もかかる筋にのみ口馴れ給へり。
「夜を知る 蛍を見ても 悲しきは 時ぞともなき 思ひなりけり」
とても暑い頃、六条院【光源氏】は涼しい釣殿([寝殿造りで、池に面して東西に設けられた建物])に出て眺めていると、池の蓮が花盛りなのを見て、「いかに多かる」(『悲しさぞ まさりにまさる 人の身に いかに多かる 涙なりけり』=『悲しさが次から次へと湧いてくる我が身ではあるが、それにもまして絶えることを知らないのは、この涙なのだ。』。『古今六帖』)など、まず思い出して、魂が抜けたように、ぼんやりしていると、日も暮れてしまいました。ひぐらしの声はにぎやかでしたが、庭の撫子が夕日に映えるのを、一人見ても、つまらないと思うのでした。
「ただぼんやりと、泣き暮らすばかりの、夏の日を、非難するかのようにやかましく鳴く蝉よ、あまりこのわたしを責めるな。」
蛍がとてもたくさん飛び交うのを見れば、「夕殿に蛍飛んで」(『夕殿螢飛思悄然』=『夕方の宮殿に蛍が飛ぶのを見ても悲しくなる』。『長恨歌』 )と、いつものように、古詩もこのような悲しいものばかりを口にしました(『長恨歌』は、玄宗皇帝と楊貴妃の話だが、楊貴妃は最期玄宗の命により殺された)。
「夜の蛍を見ても悲しいのは、わたしの悲しみは夜昼ずっと消えないものであるからなのだろう(『思ひ』に『火』をかける)。」
(続く)