御正日には、上下の人々皆斎して、かの曼陀羅など、今日ぞ供養ぜさせ給ふ。例の宵の御行ひに、御手水など参らする中将の君の扇に、
「君恋ふる 涙は際も なきものを 今日をば何の 果てといふらむ」
と書き付けたるを、取りて見給ひて、
「人恋ふる わが身も末に なりゆけど 残り多かる 涙なりけり」
と、書き添へ給ふ。
正日([正忌日]=[命日])には、身分の上下の人々は皆潔斎して、曼荼羅などを、今日の紫の上の一回忌のために供養しました。いつもの宵の勤行に、手水などを参らせる中将の君(女房)の扇に、
「君【紫の上】を恋しく思い出して、涙の乾く隙もありませんのに、今日の日をどうして果て([ 喪の終わり])と呼べましょう。」
と書いてあるのを、六条院【光源氏】は取り上げて見て、
「紫の上を恋しく思う我が余命も残り少なくなったが、まだまだ残り多い涙であることよ。」
と、書き添えました。
(続く)