ややありて、景季来たり、「時こそ移り候へ」と言ひければ、祐信、彼らを出で立たせ、由比の浜へぞ出でける。今に始めぬ鎌倉中の事々しさは、彼らが斬らるる見んとて、門前市をなす。源太が館も、浜の面ほど遠からで、行くほどに、羊の歩みなほ近く、命も際になりにけり。すでに敷皮打ち敷きて、二人の者ども直りにけり。今朝までは、さりとも、源太や申し助けんと、頼みし心も尽き果て、彼らに向かひ申しけるは、「母が方に、思ひ置く事やある」と問ふ。「ただ何事も、御心得候ひて、仰せられ候へ。ただし、最期は、御教へ候ひし如く、思ひ切りて、未練にも候はざりしとばかり、御語り候へ」「筥王は如何に」と問へば、「同じ御心なり。今一度見奉
しばらくあって、景季(梶原景季)がやって来て、「そろそろ時間だ」と言えば、祐信(曽我祐信)は、彼ら(一萬・筥王)を出で立たせて、由比ヶ浜(現神奈川県鎌倉市)に向かいました。今に始まったわけでもありませんでしたが鎌倉中が騒いで、彼らが斬られるのを見ようと、門前市をなしました。源太(梶原景季)の館も、浜から遠くありませんでした、行くほどに、羊の歩み([死が近づいてくることのたとえ])は近付いて、命も際になりました。すでに敷皮が敷かれて、二人の者どもが据えられていました。今朝までは、なんとかして、源太が助けてくれるかもと、一縷の望みも尽き果てて、祐信が彼らに向かい申すには、「母に、言い残すことはないか」と訊ねました。一萬は「ただ何事も、思いを察していただき、申されますように。ただ、最期は、母の教えの通り、覚悟あって、未練はありませんでしたと、話してください」「筥王は何かあるか」と訊ねると、「兄(一萬)と同じ思いです。できれば今一度お会いしたかったと」と言いも果てず、涙に咽び、深く嘆きました。
(続く)