大王、不思議に思ひしかども、賢人の計らふ事なりしかば、さてのみ過ごし給ふ。その頃、国の兵起こりて、大王を傾く。合戦に打ち負けて、並びの国に移りぬ。その時、千人の臣下、さしも愛せし恩を捨てて、一度に逃げ失せにけり。王一人に成りて、すでに自害に及びける時、ちやうしが、暫く抑へていはく、「待ち給へ。この国の市にて買ひ置きし善根、尋ねて見ん」とて行く。その宝を得たりし貧人の中に、しはうと言ふ武勇の達者なり。深き心ざしを感じ、多くの兵を語らひ、この王の為に、城郭をこしらへ、暫く引き籠りぬ。時あつて、運を開き、再び国に帰り給ふ。これ偏へに、ちやうしが買ひ置きし善根の故と、国王感じ給ふ。一人当千と言ふ事、この時より始まりける。
大王は、どういうことかと不思議に思われましたが、賢人が考えあってなした事でしたので、それ以上何も訊ねませんでした。その頃、国の兵どもが蜂起して、大王を転覆させようとしました。大王は合戦に打ち負けて、となりの国に逃げました。その時、千人の臣下は、寵愛に与った恩を捨てて、一度に皆逃げ失せてしまいました。王は一人になって、すでに自害に及ぼうとした時、ちょうしが、しばらく止めて言うには、「お待ちください。この国の市にて買い求めました善根を、探して参ります」と言って出て行きました。かつて宝を得た貧人の中に、しほうと言う武勇の達者がおりました。深く心ざしを感じ、多くの兵を集めて、大王のために、城郭を構え、しばらくの間引き籠りました。その後、大王の運は開かれ、再び国に帰ることができたのです。これすなわち、ちょうしが買った善根によるものだと、国王は思われたのです。一人当千と言う言葉も、この時よりはじまったということでございます。
(続く)