重忠承つて、「御助け候はば、如何でか、その礼なかるべき。君御許しなくは、我々までも、果に奢るべきにあらず。さあらんに取りては、遭はざる訴訟なりとも、一度は、などや御免なからん」「理を破る法はあれども、法を破る理はなし。罪科と言ひ、法と言ひ、如何でか、彼ら逃るべき」。重忠も、申しかかりたる事なれば、身をも命をも惜しまず、高声に成りて、申しけるは、「国を滅ぼす天譴も、三世は聞かずとこそ、承りて候へ。釈迦如来の昔、善恵仙人と申せし時、道を作り給ふ中間に、燃燈仏を通り給ふ。道悪しくして、煩ひ給ふ時に、仙人、泥の上に伏し給ひて、御髪を敷き、仏を通し奉る。さつたい王子は、飢ゑたる虎に、身を与へ、尸毘大王は、鳩の量りに、身を欠くる。
重忠(畠山重忠)はこれを聞いて、「お助けくださいましたら、どうして、感謝しないことがありましょう。君(源頼朝)のお許しがなければ、我々までも、果報に奢るべきではありません。もし適わぬと申されるのであれば、心ならずの訴訟なりとも、この度は、ご免いただく存じ上げます」「理を破る法はあろうとも、法を破る道理はない。罪科と言い、法と言い、どうして、彼らが逃れることができよう」。重忠も、言いがかったことでしたので、身も命も惜しまず、声を高くして、申すには、「国を滅ぼす天譴([天罰])でさえも、三世に及ぶとは聞かずと、承ります。釈迦如来が昔、善恵仙人(儒童梵士。釈迦の前世での名)と申されていた時のことでございます、道を歩いている途中、燃燈仏(釈迦が過去世で儒童梵士と呼ばれ修行していた時、未来において、悟りを開き釈迦仏となるであろうと予言した仏 )が通りかかりました。道は悪く、燃燈仏が難儀していたので、善恵仙人は、泥の上に伏して、髪を敷き、燃燈仏を通したといいます。薩埵王子(釈迦の過去世での名)は、飢えた虎に、身を与え、尸毘大王(釈迦の過去世での名)は、我が身を鳩ほど、切って鷹に与え鳩を助けたといいます。
(続く)