これら皆、末代の衆生を思し召す、御慈悲の故ぞかし。なかんづく、諸国を治め給ふ事、理非を正し、情けを宗とし、哀れみを本とし給ふべきに、これほど面々の申す、彼らを御助けなくては、人頼み少なく思ひ奉るべし。重忠が一期の大事と思し召し、助け置かれ候へかし」と、まこと思ひ切りたる気色で、仏法世法、唐土天竺の事まで、引き掛け引き掛け、申されければ、君御思案ありて、「まことこの人は、内には五戒を守り、外には仁義を本とす、賢人ぞかし。この重忠を失ひなば、神の恵みに背き、天下も穏やかなるまじ」と思し召しければ、「さらば、この者ども助け候へ。ただし、御分一人には預けぬぞ。今日の訴訟人どもに、ことごとく許す」と仰せ下されけり。
これらは皆、末代の衆生([人])を思われて、慈悲を施されたのではありませんか。諸国を治めるということは、理非([道理にかなっていることと外れていること])を正し、情けをもち、慈悲を専らとすべきものでございます、これほど多くの者どもが申しております、彼ら(一萬・筥王)を助けなくては、人も頼りわずかと思うことでしょう。この重忠(畠山重忠)の一期の大事と思われて、助け置かれますよう」と、まこと覚悟を決めた表情で、仏法世法、唐土(中国)天竺(インド)のことまで、例に引いて、申したので、君(源頼朝)は思案して、「まことこの人は、内には五戒を守り、外には仁義を大切に思う、賢人である。この重忠を失えば、神の恵みにも背き、天下も穏やかではあるまい」と思って、「ならば、この者どもを助けよ。ただし、お主一人のことを思ってではないぞ。今日の訴訟人どもに、許すと申しておるのだ」と申しました。
(続く)