忠綱、勝つ乗つて打つほどに、左の膝を切られて、犬居に成りて、腰の刀を抜き、自害に及ばんとするところに、太刀取り直し、右の臂の外れを刺して通す。忠綱、今はかうと思ひ、館を指して帰りけるを、十郎伏しながら、掛けたる言葉ぞ、無慙なる。「新田殿、帰るか、まさなし。同じくは首を捕りて、上の見参に入れよ。親しき者の手に掛からんは、本意ぞかし。返せ、や、殿、忠綱」と呼ばはられて、げにもとや思ひけん、即ち立ち帰り、乳の間斬りてぞ伏せたる。
忠綱(仁田忠常)は、勝つ乗って打つ続けると、祐成(曽我祐成)は左膝を切られて、四つん這いになり、腰の刀を抜き、自害に及ぼうとしましたが、忠常は太刀を取り直し、右臂の外れを刺し差し通しました。忠綱(忠常)は、もはや自害もできまいと思って、館に向かって帰ろうとしましたが、十郎(祐成)は伏しながら、かけた言葉が、哀れでした。「新田殿よ、帰るのか、どういうつもりぞ。同じくは首を捕って、上(源頼朝)の目にかけよ。親しい者の手に掛かるのが、本望ぞ。戻って来、い、殿よ、忠常よ」と呼ばれて、確かにと思ったのか、すぐに立ち帰り、胸の間を斬って伏せました。
(続く)