かくて、隠岐には、出でさせ給ひにし昼つ方より騒ぎ合ひて、隠岐の前の守追いて参る由聞こゆれば、いとむくつけく思されつれど、ここにもその心して、いみじう戦いければ、引き返しにけり。京にも東にも、驚き騒ぐ様思ひ遣るべし。正成が城の囲みに、そこらの武士ども、かしこに集ひ居るに、かかる事さへ添ひにたれば、いよいよ東よりも上り集ふめり。
このような事がございましたが、隠岐では、後醍醐院が隠岐を出られた昼頃より騒ぎになって、隠岐守(佐々木清高)が追いかけて来ると聞こえたので、とても恐ろしいことに思われましたが、後醍醐院方も覚悟を決めて、激しく戦ったので、隠岐守は引き返しました。京でも東国でも、騒ぎになりましたが当然のことでございましょう。正成(楠木正成)の城(現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった千剣破城)を囲んで、近国の武士たちが、ここかしこに集まっておりましたが、このような事があって、ますます東国より兵たちは攻め上ったのでございます。
(続く)