人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「増鏡」秋のみ山(その4)

下りの御門は、御兄このかみの本院と一つ持明院ぢみやうゐん殿に住ませ給ふ。もとより御子の由にておはしませば、まいて、一つ院の内にて、いささかも隔てなく聞こえさせ給ふ。いと思ふやうなる御有様なり。さるべき御仲と言へども、昔も今も御腹など変はりぬるは、いかにぞや、そばそばしき事もうち交じり、くせある習ひにこそあるを、この院の御あはひ忠実まめやかに思ほし交はしたる、いとありがたうめでたし。本院は、広義門院くわうぎもんゐんの御腹の一の御子みこを、この度の坊にやと思されしかど、引き過ぎぬれば、いと遙けかるべき世にこそと、さうざうしく思さるべし。御歌合のついでなりしにや、

色々に 都は春の 時にあへど 我がすむ山は 花も開けず

大覚寺だいかくじ殿には、引き替へ、馬・車の立ち混みたるを御覧じて、法皇詠ませ給ひける。
我住めば 寂しくも無し 山里も あさまつりごと 怠らずして



下り位の帝(第九十五代花園天皇)は、兄であられる本院(第九十三代後伏見天皇)と同じ持明院殿(現京都市上京区にあった寺らしい)に住まれました。お二人とも伏見天皇(第九十二代天皇)の皇子でございましたので、まして、同じ一つ院の内で、何一つ隔てなくお話しなされておいででございました。たいそう望ましいご関係でございました。兄弟と申しましても、昔も今も母が違えば、どうしても、どこかよそよそしいところもあり、今一つ親密になれないものでございますが、この院(花園院と後伏見院)のお仲は、何一つそのようなことがございませんでした、まことありがたくうらやましいものでございました。本院(後伏見院)は、広義門院(西園寺寧子やすこ)の子である第一皇子(量仁かずひと。後の北朝初代光厳くわうごん天皇)を、後醍醐天皇(第九十六代天皇)の坊([皇太子])にと思っておられましたが、申し出される折もなく、帝位を下りられてもうずいぶん経ってしまったと、さびしく思われるのでございました。歌合の時でございましたか、

次々に、都では帝が変わったが、わたしが住むこの山には、花開くこともない。

大覚寺殿(現京都市右京区にある寺。もと第五十二代嵯峨天皇の離宮だった)には、引き替え、馬・車が立ち混んでいるのをご覧になられて、法皇(花園院)が詠まれました。
ここにはわたしも住んでおりますれば、さびしいことはございません。山里とはいえ、朝政あさまつり([朝廷の政務])も位にあった時と同じように、執り行っておりますれば。


続く


by santalab | 2014-08-08 19:55 | 増鏡

<< 「増鏡」春の別れ(その10)      「増鏡」秋のみ山(その3) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧